高嶋哲夫

日進月歩の科学技術

高嶋哲夫
作家、元日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)研究員

―日本原子力研究開発機構出身の先生から見た、現状のもんじゅについて、どうお考えでしょうか?
1995年の冷却材のナトリウム漏洩による火災事故以来、殆ど稼働していません。ナトリウムのハンドリングとか、周辺技術の開発など、停止しているなりに成果は上げていると思います。しかし、やはりトラブルが多すぎます。ちょっと「もんじゅ」を擁護しておきますと、最新鋭技術の開発で15年も止まっているというのは、やはり異常です。最初の事故原因は明白なのですから、それを改善した段階で直ちに動かせばよかった。ところが明らかに政治の駆け引きの道具となり、長期間動かすことができなかった。これは最新鋭技術としては致命的です。
装置自体が古くなると共に、科学者、技術者のモチベーションは落ちてしまいます。それに、設計に入った1970年ごろは、巨大装置をシステムとしてコントロールする学問分野がまだ十分に確立されていなかった。「もんじゅ」のような原子力、機械、電気、化学、土木など様々な学問分野が関係する巨大プロジェクトでは、やはりシステム工学に基づいた科学的、合理的な管理が必要だと思います。
その最新技術を駆使してもう1回作り直すのも選択肢の一つではないでしょうか。今度事故を起こしたら、取り返しのつかないことになります。
核燃料サイクルにとって、どうしても必要なのは高速増殖炉ですから、純粋な技術開発として研究を進めるべきです。
僕は原子力は長い目で見れば必要な技術だと思っています。軽水炉、高速増殖炉、核融合炉と技術開発を進めていってほしいものです。
それに重要なことは、はっきりとものを言うことだと思います。誤解を恐れず言いますが、原子力関係にも重大な事故とそうでないものはあります。その違いは一般の人には分かりません。「絶対」という言葉を否定しながらも「完璧」を求めています。これでは、研究者も技術者も委縮してしまいます。もっと科学的に物事を考える姿勢が大事だと思います。
しかし何を言っても、福島ではメルトダウンは起こってしまった、と言われると何も言えないんですがね。

―断層評価の対象にもなっていますが。
最近、複数の地質学者と話す機会を得ました。彼らに「活断層」について聞いてみました。まず、彼らの仕事は、活断層が今後動くか動かないかを調べるのではなく、40万年以内に動いた活断層であるかないかを調べることだそうです。でも、問題は過去ではなく未来です。新設の原発については四十年、あるいは廃炉処分の数十年を入れても、今後最長で百年間に動くか動かないかが問題なのです。このことについて聞きましたが、明確な答えは得られませんでした。今後は活断層の上に原発は造らないとしても、すでに出来ているものについては、数十年間で動くかどうかの議論をしてもいい気がします。要するに、法律を修正するくらいの科学的(?)知恵はあってもいいのではないでしょうか。

―時間軸でいえば、高レベル核放射性廃棄物の処理についてはどうお考えでしょうか?
映画「10万年後の安全」で語られていた“忘れ去られるための施設”という表現は非常に印象的でした。全ての放射性物質が人間の生活環境において安全になるまでの期間、社会から隔離して埋めてしまえという考え方は、非常に無責任です。現在の科学技術のままで、未来が成り立っているかのような考えしか持っていないということです。明治から平成へ。たかだか150年余りですが、明治の人にとって、現代は信じられない世界になっているはずです。
今から10万年前って、ホモ・サピエンスやネアンデルタール人がアフリカから世界各地に広がり始めた時代です。その時代に2015年の世界を語れるかということです。考えることすら無意味です。
そうではなくて、人間がある程度責任を持てる期間、例えば100年というスパンを設定して、その期間、管理・保管することのほうが現実的だと思います。つまり「最終処分」ではなくて、「管理保管」です。
100年後には100年後の科学技術があり、技術・材料・装置・薬剤の開発など、科学技術は日進月歩です。100年単位の検証を続けていけば、必ずよりよい解決策が見つかるはずです。シェールガスのように、ゴミだったものが科学技術の進歩で宝の山になることもあります。
さらに言葉の使い方についても考える必要があります。「高レベル核廃棄物最終処分地」などという恐ろしい名称は捨てて、「使用済み核燃料長期保管施設」程度の呼び名でいいのではないでしょうか。「100年間の管理保管施設を造らせてください。その期間は責任を持って管理します」のほうが遥かに現実的で、誠実で信頼が置けます。

―先生は「M8」や「TSUNAMI」といった自然災害をテーマにした作品を執筆されていますが、きっかけは何だったのでしょうか?
阪神淡路大震災です。僕の住んでいる神戸市垂水区でも、震災でインフラが破壊され、数ヶ月間、電気・ガス・水道が止まりました。僕の周りでも親戚が亡くなったり、自宅が全壊した友人が多くいます。災害現場も多く見ました。これはどうしても残しておかなければならないと思って、「M8」を書きました。
書き終えて、次のテーマについて編集者と打合せをしていたとき、津波の話が出ました。東海、東南海、南海地震のことです。
「M8」を書くにあたり、日本の自然災害については結構調べました。それで、日本は過去に地震や津波が頻繁に起こり、けっこう怖い国だと思い始めていました。書かなきゃ駄目だと思いました。そして、書き始めた年の冬にインド洋の大津波がありました。津波の映像を見ながら思いました。生と死の境というのは、高さ1メートルの違いで決まるんだと。そして書き上げたのが「TSUNAMI」です。
この小説でも原発事故は出てきます。しかし当時、僕は原子力発電所では事故は起きないと考えていました。多重防護が取られていますし、原発は並の建物とは構造が全く違います。鉄骨とコンクリートの塊です。だから原発が壊れる程の自然災害が来れば、もう日本は残っていないと思っていました。ですから、あのような扱いになってしまいました。

―それから6年後、東日本大震災が発生しました。「TSUNAMI」で語られたシミュレーションの震災が現実のものとなりました。
福島第一原発メルトダウンの直接の事故原因は、津波による全電源喪失です。地震でダメージを受けたという人もいますが、恐らくそれはない。地震時では太平洋岸のすべての原発が緊急停止しています。その後の津波により、福島第一原発は全交流電源喪失という事態に陥り、冷却ができなくなってメルトダウンという状況になりました。津波が直接原子炉を破壊したわけでもありません。
何が問題であったかというと、予備電源の場所と電源車の不足です。つまり、あの事故から学んだ原発の安全対策は、予備電源を高台に設置して、電源車を増やすと共に移動経路を確保してあればよかったんです。もし、外部電源が1系統でも生きていたら、使える電源車が1台あれば、予備電源が山側にあれば、あるいは防水対策さえしっかりしていれば、冷温停止に持っていけたかもしれません。
そうであれば、あの巨大地震と津波にも耐えた、と原発の評価は全く変わっていたはずです。

―最後に震災からの復旧復興で一番重要だと思うことはなんでしょうか?
震災後半年後に気仙沼に行きましたが、驚いたのは瓦礫の山があるばかりで、人の姿がほとんど見えなかったことです。阪神・淡路大震災では、半年後の三ノ宮は人で溢れていました。阪神・淡路大震災を経験して思うことは、震災対応は「迅速さと公平さ」の二つに尽きると思います。つまり原状復帰です。
ところが、東日本大震災の場合はそれができなかった。政府や地方があまりに壮大な計画を立てすぎたのです。政治家や有識者と言われる人があまりに勉強不足で、災害を知らなかった。それに、前の震災と同じような議論が繰り返されています。過去の経験がまったく生かされなかったということです。
今度、同じような地震と津波がきても耐える町造り、港づくりを計画した。住宅の高台移転や巨大な防潮堤や頑丈な港の建設です。
でも、次にくる想定外の地震と津波というのは1000年後と言われています。1000年後のことを今やる必要はない。とにかく、今、困っている人々の生活を元に戻す。これがいちばん重要です。高台移転しても百年もたてば、みんな便利な海辺に下りて来る。防潮堤や港も百年経てば古くなり、新しく造り直すことになる。1000年後には1000年後の科学技術で考えればいい。それが科学の進歩というものです。
日本には南海トラフ巨大地震と津波、東京直下型地震の危険性が迫っていると言われています。これは過去の二つの災害よりも被害が大きくなるとも試算されています。
今後必要なことは、過去の二つの大震災の経験を風化させることなく生かすことです。まず法整備を今のうちに整えることです。瓦礫処理、仮設住宅、震災復興住宅、二重ローン、義援金の扱い方など山ほどあります。現実問題として、ご遺体の扱いなどもあります。
被害者の方は、着の身着のままで放り出され、帰る家もないわけです。ですから、できるだけ迅速に、そして公平に、人々が元の生活に戻れるような方法を取るべきだと思います。

※発売中の「世界に嗤われる日本の原発戦略」(PHP新書)に詳し記載されていますので、是非ご覧下さい。

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