日本エネルギー会議

  • 設立趣旨
  • お問合せ

原発事故資料館の建設

福島第一原発の事故から5年以上が経過し、今も住民の避難と廃炉作業が継続しているが、事故そのものは風化が進んでいる。辞書によれば、意識について風化という語を用いる場合、「個であれ集団であれ、人が抱く意識や関心の度合いが、経年などによって目に見えて低下すること」を意味するとある。熊本地震や米国の大統領選挙、中国の海洋進出、都知事問題など次々と新たな大きなニュースが報じられる度に、福島第一原発の事故の存在感が薄れていく。その早さは放射能の減衰より早い。

東日本大震災関連では、津波で児童ら84人が犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校や多くの職員がとどまって亡くなった宮城県南三陸町の防災対策庁舎の保存がニュースとなっているが、原発事故に関しては福島第一原発の廃炉作業が進み、水素爆発で吹き飛んだ原子炉建屋上部のむざんな鉄骨もすでに見ることは出来ない。見られるのは除染により発生した放射性廃棄物の入ったフレコンバッグの山と汚染水が入ったタンク群くらいだ。

福島に原発事故資料館はつくらないのだろうか。と思ったのは、テレビの実況中継を見ていて、アメリカのオバマ大統領が先月、原爆投下国の現職大統領として初めて被爆地・広島を訪問し広島平和記念公園を訪れ、公園内にある原爆資料館に入った時だ。広島の原爆ドームのような福島第一原発の建屋上部はもうないが、資料館は作れるのではないか。

では、何故資料館を作るのか。大川小学校旧校舎の場合、遺族や住民は保存と解体で意見が分かれていたが、市は教訓の伝承や将来の防災教育に役立つと判断し震災遺構として保存する方針を固めた。福島第一原発の事故の場合も同じことが言える。これからも原子力の研究や商用、あるいは行政側での防災業務に携わる若者が数多く育っていくだろうが、彼らにとって資料館は貴重な教育の場となるはずだ。また、日本人のみならず世界中の人々が、大きな自然災害と原発事故の関連性について、原発の過酷事故の実態、今回の事故の原因と結果について学ぶことが出来る。建設する場所は、廃炉作業が行われ、除染で出た放射性廃棄物の中間貯蔵施設のある大熊町か双葉町が適当と考える。

広島に原爆が落ちたのは、1945年8月6日。ウィキペディアによれば、戦後の早い時期から学術機関のみならず市民の手で被爆資料の収集が行われ、収集された資料は、1949年から市の中央公民館の一角に設置された「原爆参考資料陳列室」に展示された。原爆の惨禍を広く世界にアピールするため、これらの保管・展示を目的とする施設を求める声が高まり、爆心地に新たに平和記念公園を整備する構想の中で資料館は目玉施設として位置づけられ、原爆投下から10年後の1955年に開館した。驚いたことに、その翌年、当時全国を巡回していた原子力平和利用博覧会の会場に使われている。

私は誰が、あるいはどんな組織が原発事故資料館の建設を言い出すのかと、じっと聞き耳を立てているが、いまのところそのような声は聞こえてこない。

  • データベース室
  • エネルギーとは?
  • 世界と日本のエネルギー
  • 原子力の論点
  • 放射線と健康