日本エネルギー会議

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余震

福島第一原発の事故から5年たつが、今も避難を開始した日のことを鮮明に思い出す。隣の川内村への道路は激しい渋滞で、汚染物質が入らないように窓を締め切りエアコンも切っていたため、車の中は暑くて大変だった。川内村は山間地であり夜の体育館は冷え込んだ。石油ストーブもあったが、灯油が十分になかったため、ストーブを焚くのは一日数時間に制限された。

激しい余震もあった。地震発生直後はいつまでも揺れ、立っていることさえ出来なかった。電気は地震発生と同時に停まった。一度収まってもすぐに大きな揺れが繰り返し、それが一晩中続いたので家の中には入ることが出来ず、暖房を入れっぱなしで車の中で一夜を過ごした。おかげで貴重なガソリンをかなり減らしてしまった。川内村の体育館でも大きな余震に襲われ、数日後にたどりついた郡山市の「ビックパレットふくしま」の大きな施設でも、余震で天井の骨組みや窓ガラスがガラガラと音を立てる強い余震に肝を冷やした。

最近、各地の原発でサイト内の緊急時対応訓練や避難計画に基づく訓練がさかんに行われているが、余震や津波の繰り返しにはどれほど注意が払われているのかと心配になる。時間通りに訓練を終了しているとすれば、本番ではそんなことはありえない。メディアの報道にもそのことは触れていないので、多分余震や津波の第二波以降のことは考慮していないのだろう。避難場所はいずれも耐震がどの程度のところを想定しているのだろうか。やっと到着した避難場所が地震で使えないということもありうる。事実、「ビッグパレットふくしま」は地震で天井などが大きく破損して一部は避難所として使えなかった。

通常、気象庁は余震や津波の第二波以降に対する注意は出すものの、実際には最初のものより小さくなることを経験しているので、甘く見がちであるが、大地震、大津波の場合は相当危険なものだという認識が必要だ。事故対応でも一度完了した措置が、余震で再び壊されることもある。避難するための道路も時間が経つと健全性が維持出来ない可能性もある。大地震や大津波の後は、時間がたつにつれて状況が良くなると安易に考えない方がよい。

他からも避難者が逃げてくれば、分け与えないわけにはいかない。備蓄していた物資もどんどん消費して減っていく。ガソリンや灯油、蓄電池の消耗は一番こたえる。避難者だけでなく、救助したり支援したりする側も疲労が蓄積していく。衛生状態も悪くなる。不安も募るものだ。事故対応や避難を計画する関係者の想像力と、どこまで準備するかの執念が試されている。 

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