日本エネルギー会議

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事故後5年で見えてきたもの(1)

(帰還困難区域は帰還が困難だということ)

福島第一原発の事故から5年経過して現地で見えてきたものがある。
事故直後、国は第一原発から20キロ圏および飯館村などを「計画的避難区域」と「警戒区域」として住民を避難させたが、その後これを再編して概ね線量と行政区に応じて「帰還困難区域」、「居住制限区域」、「避難指示解除準備区域」の三つに再編した。それ以外でも風向きや地形によって事故後1年間の積算線量が20ミリシーベルト以上になる地域は「特定避難勧奨地点」として避難を促した。

除染が進むことによって地域は解除され、現在は図のようになっている。国は主に図の緑色と黄色の部分を平成27年3月に解除する予定としており、大量の除染作業員を投入して住宅地などの除染が行われている。

次は、ピンク色の「帰還困難区域」が解除されるはずだが、試験的な除染をしているだけでまだ除染計画さえ立っていない。それどころか、第一原発周辺に造られることになった中間貯蔵施設が地権者の同意がほとんど得られないため、除染した土壌などは黒いフレコンパックに入れられ「帰還困難区域」に山積みされている。この結果「帰還困難区域」は仮置きされた大量のフレコンパックが空き地という空き地を占有するようになり、これを中間貯蔵施設まで運びだすまでは本格除染は出来ず当分解除が難しいということになってしまった。

町も帰還困難区域に関しては、インフラの復旧も含め、将来の問題として復興計画に具体的なことは記していない。
現在も、「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」は日中の立ち入りは自由だが、「帰還困難区域」はバリケードに囲われ、環境省に事前申請しなければ立ち入りが許されない。(年間立ち入り回数にも制限がある) 帰還が困難ではあるがそのうち帰還出来る区域と思っていた住民は、5年が経過してもまったく目処が立たない現実に直面して、そこが、文字通り帰還が困難であり続ける区域であることを思い知らされている。こうした状況を反映して、「帰還困難区域」から避難している住民の帰還の意思は見る見るしぼんでしまった。

そうなった原因は大熊町双葉町につくる中間貯蔵施設について国の見通しがきわめて甘かったためだ。県と二町に施設受け入れの苦渋の決断をさせておきながら、いまだ地権者の居所さえ十分に把握出来ていないという状況になったのは、周辺の地域の解除を先に進めることにより、いかにも復興が順調だという印象を国民に与えようとした政治家や役人によるものだ。南相馬市などでも3年間という約束で地権者に受け入れられたフレコンパックの仮置き場が3年間以上経過し、国は市内の別の場所に移動せざるを得ないという事態を起こしている。 

これは国と電力会社が国策の名の下に、放射性廃棄物の処分場も見つからないまま原発をどんどん建設していったのと同じ。ネックになるところは先送りで外見を取り繕い続けるというやり方がそっくりだ。六ヶ所村の核燃料再処理工場内に海外から返還されたガラス固化体を貯め続け、全国の原発内の燃料プールが満杯になりそうになると構内に使用済燃料の貯蔵施設を建設しようとしているのも根は同じだ。

政治家や役人は自分たちの都合ばかりを優先して、困るとその都度先延ばしをしたり、姑息なやり方で取り繕ったりしている。それは、「原子力は信頼が第一」という原則を自ら破り、原子力に「不信」というペンキを上塗りしているようなものだ。迷惑を被っているのは、住民だけではない。原子力に関わる人々までもが振り回されている。

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