日本エネルギー会議

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原子力に対する人々の気持ち

福島第一原発の事故以降、官民の努力にもかかわらず、原子力への人々の理解は深まらず、原発再稼働反対の世論は依然多数を占めている。もともと原子力に対する漠然とした不安が底流としてあったところに福島第一原発の事故が起き、自分たちにとってまさに青天の霹靂であったことが大きく影響していると思われる。そこで、原子力に対する人々の気持ちはどのようなものであるか。それは何に由来しているのかについて考えてみたい。

1.ゼロリスク願望 
人々は福島第一原発の事故後に失敗学の畑村先生の「人や組織は必ずミスを犯し、誤るものだ」という話を聞いてその通りだと思った。どのような対策を取ろうともいつか原発事故は再び起こるに違いない。これがゼロリスク要求に繋がっている。だから「原発は動かさないほうが良い」に賛成する。この世にはゼロリスクはないこともわかっているが、「原子力だからこそ」というのだ。原子力につきものの放射線がなじみのないものであることと、原爆やチェルノブイリ事故や福島第一原発事故の印象でそのように思われてしまっている。巷に溢れる文章表現や映像のせいでもある。それにしても福島第一原発の事故で過酷事故への備えがあまりにもおろそかであったことが尾を引いている。

国や原子力関係者あるいは専門家は、事故前も事故後も確率論的安全評価やリスク評価の手法にこだわっている。システムを構築している個々の機器の信頼性を確率的に評価し、システム全体のリスクをより科学的かつ定量的に把握してより安全なものを目指そうとするいわばまっとうな考え方である。ところが安全評価の結果はゼロにはならないので、人々のゼロリスク願望の前にはこの手法は通用しない。準国産エネルギー獲得のメリットとのバランス論も通用しない。そのことで原子力の関係者は悩んでいる。

2,大量の危険物は持たない方が無難という考え
護身用に所持したピストルは結局身を滅ぼす。軍隊もそのようなものである。軍隊があれば必ずその力を使いたくなるものだという考えが人々の間に定着している。原発もチェルノブイリや福島のようなことが起きれば破滅的だ。出来ればない方がよい。福島でまだ数万人が避難していることも響いている。
前世紀から収まるどころか拡大が続く世界各地の動乱、戦乱。そのような状況で原発はミサイルやテロの標的になりうる。核につながる原発の存在は危険であり、イランはもとよりトルコや中東諸国など紛争当事国に原発を売るのはいかがなものかと思うだろう。憲法の平和主義が日本人によく浸透していることが、原発反対の元になっている。

3,大量消費の反省
原子力関係者の多くは、「原子力は人類が発見した貴重なエネルギーであり、これを利用していけば人類はこれからも繁栄していくことが出来る」という確信のもとに批判や妨害に耐えて原子力開発を進めようとしている。途上国の人口爆発と生活レベル向上と化石燃料の枯渇が近づいており、世界には「打出の小槌である核燃料サイクル」が必要であると考えもする。
だが、今日豊かな日本に住む人々は、「原子力はエネルギーの打出の小槌」という主張は、特に先進国で見られる資源の大量消費を前提としたライフスタイルを反省しようという動きにそぐわないと思ってしまう。新しい価値観に合わないのだ。また、簡素な生活、節約は日本人の好む美学でもある。原子力の関係者は浪費生活をそそのかす石油メジャーと同じ連中だと見られている。無限のエネルギーを手にいれようとする原子力利用に固執するのは時代遅れでお洒落ではないのだ。

4.環境問題の影響
例え超大型ハリケーンが未曾有の被害をもたらし、日光浴が皮膚がんの原因になっても、風や太陽のように人々にとって親しみやすい再生可能エネルギーにシフトしていくことは人々の支持を得やすい。人々の願望を叶えてくれるのが科学技術なのであり、人々には再生可能エネルギーはいろいろ弱点があっても必ず利用出来るようになると思っている。再生可能エネルギーは人々に気に入られることに最初から成功している。

地球温暖化の進行は原子力にとって追い風のはずだが、そうは問屋が卸さなかった。原発が事故を起こせば環境が汚染する。原発の使用済燃料からは長寿命の高レベル放射性廃棄物が出る。このまま原発を運転すれば高レベル放射性廃棄物は増え続け次世代に負の遺産となることを人々は憂慮している。それなのに化石燃料が地球温暖化を加速させていることには放射性廃棄物が増えていく程の危機感はない。アスベスト、水銀、カドミウムなどはいつまでも毒性がなくならないが、核のゴミの放射能が減衰していくことは評価しない。核のゴミの地層埋設計画が逆に核のゴミのやっかいさをより強く感じさせる結果になっている。

多くの人々は原発なしには地球温暖化をストップ出来ないことを認めようとはせず、再生可能エネルギーがあるから原発は使わなくても大丈夫だと思っている。それはヨーロッパ発の脱原発、再生可能エネルギー拡大の動きが伝わってくるからだ。電力料金が高騰するなどネガティブな情報もあるが、圧倒的にドイツの脱原発方針決定などを賞賛する内容が多い。原発に反対する人々はこれを心の支えにしている。

5,劇場化
原子力を支持しているのが立地地域、産業界、財界であり、これと関係の深い自民党であることも原子力に対する人々の疑念を助長している。原発推進はエネルギー安全保障や地球環境のためではなく、交付金のため、利権の為、受注のため、生活のため、票のため、官僚たちの無謬性のためではないかと疑われている。そんなことで国民が事故のリスクを負わされるのは御免だという声が上がる。

国策民営という癒着の温床のような閉ざされた世界。税金や電力料金で抜群の経済力を持ち、取り巻きの支持者がたっぷり潤っている産官学の共同体というイメージがすっかり出来上がっている。自民党政権は出来るだけ原発依存しないと言いながら、次々と原子力復活を目指す方向に向かって邁進しているため確信犯と見られている。河野氏の大臣起用も、「そこまでやるか」と呆れられている。これらは記事や解説や出版物により毎日のように耳目に達する。官僚の天下りも丁寧に報道さ
れる。それらは「水戸黄門」と同じように人々にうけている。「水戸黄門」は越後屋(財界)と悪代官(官僚)がいなければ始まらないのだ。

次の機会には対応策について書く事にしたい。

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