日本エネルギー会議

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巨大組織は何故大事故を起こすのか(16)

巨大組織の変容

巨大組織は時が経つにつれて変容していく。それは自然科学の法則に近いものだ。どのような組織でも変容は免れることが出来ず、その結果、組織が飛躍的に発展することもあるが、致命的な事故を起こすなどして滅亡に向かう原因にもなる。

今回は原発を運営することになった巨大組織である日本の電力会社が原発を始めることになった結果、どのような組織の変容を遂げたか、そしてその変容が会社を危機に陥れた大事故をどのようにして起こす要因になったかを考えてみたい。

(1)
もともとは役人の干渉を嫌がる独立自尊の気風(電力の鬼、松永安左衛門は慶應義塾を創設した福沢諭吉の直弟子)がある電気事業であったが、原発を手がけることで逆に役所との関係が深まった。国によって原発開発に多大の支援を受けることになり、電力会社は高級官僚の天下りも徐々に受け入れることになった。電力会社の原発開発を国策とした国といわば運命共同体化したために、監督する側とされる側の関係から、互いに自分たちの都合による要求を相手に出すようなもたれ合いの関係になった。

(2)
原発を開発するため社内に独特の気風を持つ部門が生まれた。独特の気風というのは一言で表せば「最新で、難しい、なによりも国のためになることをやっているという選民意識」である。それは次第に力を持ち、経営上の重大な課題を次々と発生させた。他部門は人の配置や予算の配分などでさまざまなマイナスの影響を受け、ついには原子力部門を冷ややかな目で見るようになり、原発部門は社内で孤立した存在になりかけた。

(3)
巨大出力の原発のために電力会社はバックアップとして火力発電設備を維持しなくてはならなくなった。このため、ほとんど稼働させない旧式の火力発電所を廃止することが出来ず収支に悪影響をもたらした。このため原発の稼働率を無理してでも上げなくてはならなくなった。

(4)
開発が進むにつれ、原子炉メーカー、多層構造の請負体制に依存した技術と現場という構造が出来上がった。それにより電力会社社員の職務は監理に限定され、現場や技術を直接知る機会が少なくなり、世代が新しくなるにつれ現場感覚を失うとともに、メーカーが出す見積もりを査定をする能力も失った。また、メーカーや下請け会社の固定化が起きて競争がなくなりコスト上昇に繋がった。メーカー依存の高まりとともに電力会社の技術が空洞化し、社員業務の中心は役所対応、地元対応などが中心となった。そのため、実際に過酷事故が発生した際にも対応の多くをメーカーや請負会社に依存せざるを得なくなった。

(5)
原発の安全性について住民の理解が深まらないまま、原発を立地する条件として地元経済への貢献を約束したため、地元の政治家、自治体、漁業組合、商工会などとのつながりが強くなった。三法交付金、核燃料税、定期検査時の大量動員など地元に与える影響が大きく、原発の運営にあたって地元経済に対しての配慮が必須のものとなった。地元は他の地域からリスクを金で買ったと言われることを嫌がった。さらなる安全性の追求は、原発推進の前提すなわち確固とした安全性について疑問を惹起させるものであり、積極的に言い出せるものではなくなった。

(6)
原発を建設、運転するにあたっての地元の不安払拭や抵抗を減らすためのさまざまな工作費用や指名入札によるコスト増大分を総括原価として料金に潜り込ませることが出来たため、原発推進と総括原価方式維持が切っても切れない関係となった。しかし、結果的には電気料金の上昇を招いたために、原発部門での無理な計画や予算削減をしなくてはならなくなった。

(7)時が経つにつれ、電力会社は先送り課題を多く抱えることになったが、これを経済力や政治の力を使って突破することが増えてきた。国の支援を引き出すために影響力のある政治家に働きかけるとともに、電力会社や労働組合からも議員を送り出した。巨額の広告費を使いメディアに影響力を行使するようになった。こうしたことを続けた結果、役所や自治体やメディアなどをある程度コントロール出来る力を持っていることを担当者が自覚するようになった。経営判断は徐々に技術的なものより社会的なものを優先して判断するようになった。

(8)
年々地元からの要求が大きくなり、地元対応のための事務所を現地に設置し、さらにその人員、体制の増強を続けた。地元住民は原発の安全性について説明を聞いて判断するのではなく、説明する人の態度や姿勢を見て「やっている人を信じる」という人が多くなった。電力会社もそれに応じて技術的に深い説明は避けるようになった。

(9)
地元の要望に従い、現地の職員や下請けでは次第に地元出身者が増えていったため、「身内のいうことを信じる」という住民の数も増え、電力会社に対して厳しく安全性を問いただす人が少なくなった。地元の議会でも原発支持派が圧倒的に力を持ち、福島第一原発の事故前には福島の地元での反原発運動家は、ほぼ無いに等しい状態となった。

(10)
原子力部門は人事的にも閉じられたものとなり、同僚や先輩後輩の関係が密になりすぎて、先輩の決めた計画やルール・慣習あるいは仲間のやっていることに対する批判がしにくくなっていった。社長ですら自分を社長に選んでくれた先輩に頭が上がらない。その結果、先輩たちのやってきたことにあからさまに逆らわないよう配慮することになる。大学の原子力関係(原子力、電気、機械など)の教授とは委託研究での資金提供や卒業生の採用でも相互に依存するようになった。社内でも大学の先輩はいつまでも一目置かなくてはならない先輩だ。

(11)
建設中や運転中の原発の基数が増えた結果、本社の統括部門と現場の力関係が次第に変化し、本店の指示は絶対的なものになっていった。本店で指示を出すのは大学卒大学院卒のエリートであり、彼らにとって現場勤務は限られた年数を過ごすステップアップの一過程に過ぎなくなっていた。対して現場で実務の中心となっていたのは高校卒、高専卒の社員であり、現場勤務が長く考え方は固定化しがちであり、また本店の指示には極めて従順に従うように教育された。

(12)
巨大組織は関係者を増やしながら、ますます巨大化する。その中の人々のつながりはさらに強くなり、その組織につながる人々の生活を守り、次世代に繋がなければならないという重責が経営トップをはじめとして管理者にのしかかってくる。巨大になった組織は、いままで積み重ねた自らの歴史、約束、声明などに自らが拘束されて世代が代わるほどに選択肢が狭まり、小回りがきかなくなり大きな影響が出るような思い切った判断が出来なくなる。そのように煮詰まってしまった組織の中で評価されるのは、組織の潜在パワーを背景に、世間に対して平然と大胆なことを強行する人だ。彼こそが我が身の危険を顧みず、組織に属する人々の既得権を守ってくれる守護神として讃えられ、英雄視されてきた。

大津波が万一襲えば、会社存亡の危機となることはわかっていた。しかしその事実を地元に公表し対策をすぐに取るという判断は上記のような状況下では出来なかった。その結果、津波がそう簡単にくることはない、あとわずかで廃炉を迎える原発がその前に津波で襲われることはおそらくないだろうという根拠のない希望的観測で、自分自身を納得させて先送りを策したに違いない。(上司の指示が裏にあるはずだが)それは最近公開された調書で「津波対策を東電側拒否」の証言として伝えられた次の内容を見ればわかることだ。

福島原発事故:「津波対策を東電側拒否」の証言 (毎日新聞2015.9.25)
旧原子力安全・保安院耐震審査室の名倉繁樹安全審査官(当時)は2009年9月、869年の貞観地震級の津波が福島第1原発を襲った場合の試算について東電から説明を受けた際、東電に「具体的対応を検討した方がよい」と提案したと証言した。名倉氏は「ポンプは(水没して)だめだな」と思ったといい、「福島第2原発のように重要施設を建屋内に入れたらどうか」ともアドバイスした。しかし、東電の担当者から「(原発の津波評価技術を取りまとめた)土木学会の検討を踏まえないことには判断できない」「炉を止めることができるんですか」と拒否された。名倉氏は結局、具体的な対策は指示しなかったという。

東京電力の原子力部門や経営トップの判断が非合理的だと後から非難されても先送りを選択したのは、当時その立場にたった者の必然的な行動だったと考えられる。優秀な人がいつも合理的な判断をするとは限らない。追い詰められるとむしろ危ない橋を渡ろうとすることが多い。最近日本でも現代の知的巨人として評判のフランスの学者エマニュエル・トッドは「組織は巨大になると非合理的行動をする」と語っている。仏教哲理を小説の中でそれとなく表現したことで知られている芥川賞作家の森敦は、小説「月山」で「大きくなった雪玉は大きいがゆえに壊れる」と登場人物に語らせている。
(つづく)

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