日本エネルギー会議

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巨大組織は何故大事故を起こすのか(10)

同組織の存在と経営判断への影響
電力業界でよく知られている言葉に「電事連比率」というものがある。電力会社による共同組織、共同事業への出資、費用負担、金融機関からの借入の保証、人の派遣に際して、9電力会社(日本原子力発電が入る場合は10)が均等に出すことはない。東京電力、関西電力など大手の電力会社は多く出し、地方の経営規模の小さい電力会社は少なく出す。その際にどう分担するか、その都度決めていたのでは手間がかかるので、電気事業連合会(以下電事連)内であらかじめ取り決めてあるのが「電事連比率」だ。

戦後、日本は高度成長を遂げ各電力とも需要が急伸したが、中でも大都市圏に需要家を持つ東京電力、関西電力、中部電力は販売電力量を年毎に高めて行き、他の電力会社を売上高、設備容量、子会社も含めた社員数で大きく引き離し御三家と呼ばれるようになった。近年、特に東京電力が経済、人口の首都圏集中の影響で電力業界のずば抜けた存在となっている。

「電事連比率」は複数存在するが、いずれもそれを固定化したことで、例えば関連企業が増資をした場合は、その都度比率の大きな電力会社のその関連企業の持ち株の割合が増加し続けることになる。例えば、日本原子力発電は当初、電力会社、メーカー、金融機関など広く経済界から出資を集めて設立されたが、その後、同社の原発建設に合わせて増資が行われた。東京電力の出資比率はもともと25パーセント以下だった。しかし、メーカーなど何社かが増資に応じなかったため、その分を電力会社が「電事連比率」で分担して不足分を賄った。その結果、最終的には東京電力は日本原子力発電の株を全体の25パーセント以上保有することとなり、財務諸表上は日本原子力発電の親会社になった。

電事連をはじめとする共同組織の人事、運営に関しては、当初から東京電力の存在が大きかったが、その後、共同組織に対して一番金を出す東京電力の支配力で、多くの共同組織でトップの座を東京電力の役員や元役員が占めるようになり、そうでない場合も専務理事や事務局長といった実権ポストに部長クラスの人材を送り込むようになった。共同組織の役員クラスは元の電力会社の経営経験者であり、電力会社の役員や役員経験者と知己であることが多い。

電事連会長、同原子力部長、日本原燃社長、日本原子力発電社長(あるいは会長)は、東京電力の指定席であった。その他の共同組織のトップ、あるいは実権を持つ専務理事、事務局長などにも東京電力あるいはその息のかかった人材人を就かせている。

我が国の原子力関連産業のほとんどが参加する日本原子力産業会議は大きな組織としては唯一東京電力色が薄かったが、2006年に協会と名称を改めるとともに理事長に東京電力元副社長が就任し一気に東京電力が強まった。この時点で東京電力は原子力界をほぼ完全に掌握するようになった。
この状況は各電力会社の原子力に係る経営判断に大きく影響を与えた。各社は徐々にではあるが、電事連や日本原子力産業協会で決めたことに従って行動し、独自性を出すことが難しくなった。逆に社内向けには電事連で決めたことであるからやらざるを得ない、あるいは電事連で了解を取るまでは自社だけ勝手には出来ないという主張が社内で通用するようなにった。

かつて国より耐震性能の向上を求められた際、各社が600ガルと決めようとしていたのに対し、中部電力は浜岡原発について経営判断で一挙に1000ガルを打ち出した。これは当時、電力各社からは驚きをもって受け止められたが、最終的には浜岡の特殊事情として認められた。このようなことは珍しいケースであったからである。中部電力の発表によれば、「浜岡原子力発電所は、想定東海地震はもちろん、さらに大規模な地震である東海・東南海・南海の3連動の地震などを考慮して、岩盤上での最大の揺れの強さを800ガルと見込んでおり、これに対して耐震安全性を確保しています。一方、当社は独自に約1000ガルの耐震目標を設定して、耐震性をさらに高めることとし、3号機~5号機については、2008年3月に工事を完了しています。」

大事なことは、浜岡の事案が例外的だということだ。電事連の縛りは、民間による護送船団方式であり、一番速度が遅い船、すなわち資金、人材などの都合で対応が一番遅れる電力会社に合わせるような配慮がされ、あまりにもスピードが早い会社は遅い会社がついてこられるようになるまで待たされることになった。国としても原子力に関する規制のやり方、あるいは支援内容について、電事連は電気事業者の要望を一本化してくれ、さらにその計画や実施について会員である電力各社に確実に実行させてくれることは望ましいことであった。各電力会社は電事連へ出向させているエリート社員から逐次伝えてくる国や電力業界全体の最新の動きを注意深く自社の経営判断に活かした。

東京電力が共同組織の多くを掌握し、名実ともに原発業界のナンバーワン・プレイヤーとなったことで、東京電力は将軍家のように全国の電力会社の中で磐石な位置を確保したように見えるが、実は将軍家なりの悩みがあった。そのことについてなるべくわかりやすく説明したい。

(1)裸の王様に 
将軍家はいつも配下の者からその意向を伺うことはされても、その忠告を聞くことが少ない。共同組織は東京電力の意向を気にしながら、なんとかその存在を続けることにこだわった運営となり、本来の機能が果たしづらくなった。東京電力に面と向かって批判はせず、東京電力は外から大事な忠告や東京電力の耳障りになるような情報を聞くことが出来なくなった。

(2)負担の増大
将軍家は城にせよ、儀式にせよ他に負けないように圧倒的力を見せつける必要がある。圧倒的ナンバーワンの存在は、さまざまな側面で東京電力の負担を増大させた。原子力は資金や費用のかかることが次々に発生したが、ナンバーワン企業としては、その負担を躊躇することには一番目に手を挙げなくてはならない。電力業界で、あるいは原子力業界で東京電力はそうすることが当たり前だという暗黙の了解が徐々に固定化した。

東京電力は莫大な売上と利益を誇っていたが、度重なる改良工事のための投資、原子力部門のための共同組織の維持にかかる費用は膨らみ続け、さすがに社内の他部門からの厳しい視線を浴びており、経営陣もこれには頭を痛める状態だった。特にバックエンドにおいては六ケ所村の日本原燃再処理工場の完成が幾度となく延期され、日本原燃に歴代社長を送り込んでいる東京電力としても、資金や人材の供給について他電力に付き合って貰っているという負い目があった。原子力部門の運営は内外からの強い圧力がかかっていたのである。

(3) 将軍家の焦り
将軍家は実際の業績に関しても堂々の1位である必要がある。しかし、東京電力の原発は数でこそ1位であったが、運用成績はそうではなかった。福島第一原発の事故前の各原発の稼働率を比較すると上位にはPWRを採用した関西電力、九州電力などが並び、東京電力のBWRはその後塵を拝していた。さらに、電力業界を震撼させた事故隠しなどの一連の不祥事は東京電力の福島原発をきっかけとして次々に広がったものであり、東京電力はこのことで歴代3人の社長を引責させている。これ以上他電力に迷惑となることは東京電力としてもなんとか避けたい、逆になるべく早く実績でナンバーワンであることを示す必要を感じていた。

(4) 将軍家の不自由
東京電力はその圧倒的な力で自らの都合で物事を決められる反面、他社から苦情や不満が出ないような配慮も必要で、絶えず優等生を演じなくてはならないつらさもあった。そのことは社内での経営判断が外部を気にしながら行われることを意味する。原子力界のあらゆるところに力を持っているということは、ダイナミックな経営、本来の合理的な経営がしにくい状況になってしまったということだ。

東京電力が産総研の研究者から大規模な津波の可能性があるという指摘を受けた際にも、原子力界は既にさまざまな問題を抱えていた。電事連をリードする立場である東京電力としては、それらの問題を優先しなくてはならない状況にあった。当時はもんじゅが運転再開の見込みが立たなくなり、再処理したプルトニウムの行き先がプルサーマルしかなくなり、各社は既存の原発でプルサーマルを実施しようと努力をしていた。さらには核のゴミについては(財)原子力環境整備促進・資金管理センター( RWMC)で資金の積立は行われていたものの、原子力発電環境整備機構(NUMO)による埋設候補地探しはまったく見通しが立たない状況になっていた。

プルサーマル計画の実施に関して関西電力は先頭を走っていたが、燃料加工の委託先のイギリスの製造工場でのМOX燃料データ改ざん問題で計画が挫折し、次に条件の良い東京電力の福島原発に国や業界の期待が集まっていた。東京電力はプルサーマル実施について地元自治体と交渉を重ねていた。県は先の情報隠蔽問題で東京電力を信用しなくなったため、東京電力は双葉郡の町村が結束してプルサーマル実施を認めるよう県に働きかけるという作戦をとった。それがようやく実を結びかけており、県の了解も見えてきたのが、福島第一原発の事故の直前の状況であり、ここで津波対策を持ち出せば、それはせっかくのプルサーマル了解が決定的に延びてしまうことを意味していた。また、津波の問題はもし起これば大変なことであるが、どこまで対策に踏み込むかはそれによって影響を受ける全電力会社の意思統一が前提であり、東京電力といえども、いや、影響力の大きい東京電力だからこそすぐには踏み切れないものであった。

福島第一原発の事故後、東京電力経営陣の責任を問う裁判や検察審査会の強制起訴問題で当時の経営陣が、津波危険性をどの程度認識していたかが、ひとつの焦点として浮かんでいる。私はたとえ彼らがそれを認識していたとしても、上に述べたような東京電力が共同組織を含め実質的に業界のリーダーシップをとっていると意識していたことを考えれば、津波対策を優先するか先送りを図るか、どちらを選択するかは自明の理であると思うのだ。
 電力会社の共同組織であり、東京電力の子会社であった日本原子力発電の東海第二原発が、経営判断によって緊急の津波対策を行っていたため、あの大津波による過酷事故を辛うじて免れた。どのようにして経営陣は津波対策を実行するという決断が出来たのか、その理由を考えることによって、東京電力のナンバーワンの地位がいかに経営の自由を奪ってしまったかをさらによく理解出来るはずだが、それについては次回とする。

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