日本エネルギー会議

  • 設立趣旨
  • お問合せ

人々の憂鬱

巷では「5年後に迫ったオリンピック」や「川内原発、2年ぶりの再稼働」のニュースが流れている。これを避難している人たちは複雑な思いで聞いている。金子みすゞの有名な詩「大漁」(1924年発表)がその気持ちに近い。

  朝焼小焼だ 大漁だ 大羽鰮(いわし)の 大漁だ。
  浜は祭りのようだけど海のなかでは何萬(まん)の鰮のとむらいするだろう。

薩摩川内市の人々が「やはり原発が動かないと街に活気が出ない」とインタビューに答えているのをテレビで見ると、自分たちの事故以前の姿と重なってしまう。薩摩川内市の人々の気持ちはよくわかるが、自分たちが酷い目にあったことは事実だ。事故の後で安全対策はずいぶんやったようだが、それでも何があるかわからないというのが実感だ。ちゃんとやらずに自分たちが被災したのだから今度こそきっちりとやってほしいという気持ちだ。

避難区域の中でも福島第一原発から一番遠い楢葉町は、秋には区域解除を受け入れることを決定し、補償打ち切りも見えてきた。国は若干の遅れはあるものの避難解除計画を着々と進めており、住民の抵抗もまとまりがない。帰還する人は思いのほか少ないようだ。一方、廃炉工程は見直され3年も遅れることになった。染水流出トラブルで漁業組合は組み上げた地下水の海洋放流にまだ賛成したが、海で生計を立ててきた漁業者にとってまさに苦渋の選択だ。

仮設住宅からようやく公営住宅へ移動出来た人たちは、今までの近所付き合いはなくなった。人間関係を構築しようとしてもマンションのような建物で、以前テレビで見た都会の孤独生活そのままで、汚く狭い仮設住宅の方がまだましだったと思う高齢者もいる。一番住民がたくさん住んでいた帰還困難区域の除染や解除は後回しにされ目標も発表されていない。除染で出た廃棄物は家の近くに積み上げられ、日に日にその高さを増している。中間貯蔵施設の地権者たちがどの程度合意したかはまったくわからない。このぶんでは、帰還しても当面廃棄物に囲まれて生活しなくてはならない。

ADRが浪江町民の訴えに仲介案を出しても東京電力は受諾を拒否し続けている。すでに賠償をもらった人たちも、区域や条件による金額の差に心穏やかではなく、互いに探りを入れている。大熊町や双葉町の人たちからは賠償に関する不満はほとんど聞かれないが、その外側に行くほど不満が大きい。
福島第二原発の廃炉を知事も議会も東京電力に申し入れているが、東京電力は国のエネルギー政策との関係を盾に回答を保留のままだ。明らかに再稼働を狙っているように見える。地元の町長もどちらに転んでも良いように言葉を濁し続けている。「現実はいろいろな考えの人がいますからね」と意味ありげに目で笑いながらこの問題を語る人もいる。

いわき市の土地は高騰。避難者が賠償で得た金で互いに値段を吊り上げ合っている。避難先住民と避難者はあいかわらず冷たい関係が続いている。新たな土地での生活に踏み出せない人々は自分たちが取り残されていく気がしている。高齢者にとっては4年半という時間はあっという間の出来事だった。

避難者はこれまで金銭的時間的にゆとりのある生活をしており、高速道路や行楽地ではいわきナンバーを多くみかける。それでも避難生活には疲れが見え始めた。家を新築した人も思わぬ物入りが続いている。立派な家に住んでいても給料や年金での生活をするのは結構大変で、精神的苦痛に対する賠償の方から持ち出しをしている。

避難当初のような緊張感はないが、いまだに地に足がついていない気持ちで心療内科の薬をもらっている人もいる。中高年層は気候や食材に馴染めず、同じ福島でも人々の気質の違いに気づき、金を貰わなくても、やはり浜通りが良いとあらためて感じている。派手な消費やギャンブルでもう金を亡くした人はともかく、大多数の人は家を買ったり、老後に備えて貯金をしている。だが、ほとんどの人が自給自足的な部分がなくたったことと、なんでも売っている都会に住んでいるため避難前よりレベルの高い消費生活をしている。区域解除、賠償打ち切りを目前に元の生活に戻らなくてはならないが、そうはならないのが現実だ。

  • データベース室
  • エネルギーとは?
  • 世界と日本のエネルギー
  • 原子力の論点
  • 放射線と健康