日本エネルギー会議

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巨大組織は何故大事故を起こすのか(8)

組織の拡大とその影響

組織は発足し時を経るに従い、量的質的な変化を遂げる。電力会社の歴史を紐解けば、現在の体制は太平洋戦争中に作られた統制経済下での日本発送電という完全独占型の国営会社が、敗戦後に地域毎の9つの電力会社に分割されて独立したことからスタートしている。

国の復興とともに電力会社は電源を水力から火力へとシフトし、経済の高度成長で沸騰する需要に対応するため設備を増強した。さらに1970年代から各社は原子力部門を立ち上げた。そのために定期採用を増やし社員数を伸ばしていったがその傾向が長く続いたため次第に対応が困難になり、社員数を増やさずに関係する組織の数を増やして、それを電力会社がコントロールするようになった。具体的には電力会社の部門毎に現場業務を切り離し、それを子会社化したが、その数は年を追うごとに増えていった。子会社には実務経験が豊富な社員が出向あるいは移籍したが、彼らがリタイアしたあとに出向や移籍してくる電力会社の社員はすでに子会社が存在していたために実務経験に乏しい。業務の中心は子会社の地元定住のプロパー社員であったが、次第に子会社の再請負先(主に立地地域の地元企業)が固定化して孫会社のような存在になり、子会社は電力会社と同じように管理が中心の会社となって実務の中心はさらに電力会社から離れていくこととなった。

子会社化した理由は「増加する業務」だけではない。まず、日本の製造業が生産性を上げて行くなか、電力会社にも生産性向上の証が必要となった。電力の場合、社員一人あたりの電力生産量が指標として用いられ、現場の実務をアウトソーシングすることで社員数を減らし、見かけ上社員一人あたりの生産量を容易に高めることが出来た。

次に、子会社化、下請け化で安い賃金で労働力を使え、賃金だけでなく福利厚生費用も軽減することが可能となった。現場の事務所や現場の労働環境、教育費についても社員に比較すると少なく済ませることが出来た。その分、当時必ずしも他の一流企業並ではなかった電力会社の社員の賃金などの是正に予算を当てることが出来た。多くの大企業が都市部の本社や事業所と地方にある事業所の賃金に格差をつける二重賃金制を採ってコスト削減を行っていたが、電力会社も遅まきながらそれにしたがった政策を取ったということになる。

高度成長期が終わるとそれを支えた団塊の世代が定年間近となったが、子会社を増やし、その業務範囲を拡大することで、電力会社社員の退職後の受け皿を確保することが出来た。50歳を超えた中堅管理職がさらに上級管理職を目指すことを諦め、定年後の居場所を確保するために早期に出向し子会社への移籍を狙う選択として子会社が活用された。子会社の社長をはじめとする役員は電力会社の役員や上級管理職が天下ってくる。それでもポストが不足して一部は独立系の大手工事会社や常駐する協力会社に天下った例もある。若手や中堅クラスを一時的に子会社に出向させることは現場を知り、より多くの部下を持ち、外部から会社を見る絶好の機会ではあったが、電力会社の勢力圏内であり、短期間を過ごすだけであるため、それほどの効果は上げることはなかった。

定期検査時の短期間に大量の人員が必要になるなど、労働需給の変化に対応するにも子会社の下請け、孫請け企業の存在が役に立った。これによって繁忙期に他の発電所や本社からの応援も必要性がなくなった。多重構造の請負体制については全体の組織論の大きな問題点であるが、そのことは後に取り上げることにする。

現場実務を子会社化して切り離すことは労働組合が抱えていた問題の解決にも資することとなった。最初に切り離されたのは自動車運転手、守衛、監視員といった「特業職」と呼ばれた職種の人々だった。当時、彼らは電力会社の給与体系や労働条件では馴染まなかった。そのため、交代勤務や長時間労働の特業職専用の賃金体系や労働協約が必要となり、会社側のみならず組合側もこの扱いに苦心していた。戦後まもなくに厳しい労働争議を経験していた電力会社は、穏健で協力的な労働組合を育てることに成功しつつあったが、この問題は残された課題でもあった。現場的で特異な業務の子会社化あるいはアウトソーシングは労使双方にとってメリットが大きく、子会社の社員たちも親会社の労働組合が加盟する電力総連に囲みこまれた。

守衛業務、自動車運転業務などに続いて、給水処理装置や海水取水装置などの運転補助業務、メンテナンス業務、放射線測定業務、入退域の管理業務、除染業務、放射性廃棄物処理業務、図面等維持管理業務、一般見学者の案内業務へと拡大が図られた。

これまで述べた子会社化など一連のアウトソーシングは電力会社の組織やトップの経営判断にどのような影響を与えたのだろうか。
長期にわたって安定的な処遇を与えるのと引き換えに、決定的な上下関係に従い、忠実に指示を守って実務面で電力会社を支える大集団が形成されたことで、他に例を見ないほどの強固な企業城下町が形成された。数十年間の間に、反対派は完全に押さえ込まれ、福島第一原発の事故前にはごく一部が存続するだけで息絶え絶えの状況だった。国道沿いの朽ち果てた反対派の看板が、わずかに昔、反対運動があったことを示している。
地元では原発に関して説得や説明の必要がない住民が多くなり、疑問や反対の意思を表示するのはかなり勇気のいることになっていた。共産党など
一部を除き、選挙公約で原発は一切触れられず、議会説明、住民説明もほとんど形骸化していたのである。

子会社、地元下請け企業の大集団の支持母体の出現は、電力会社に住民という緊張感のもとになる存在を失わせることになった。かつて敦賀原発に勤務した際、原発から最も近い集落で地元出身の日本原電の事務系社員が区長になった。彼は地元との話合いでは会社側ではなく地元側のテーブルに着く。彼は会社に対して一般の住民より厳しい態度で臨んできたが、その胸中は複雑なものだと容易に想像出来た。福島第一原発の事故でも避難した人の多くが、原発となんらかの関係を持っていたため複雑な思いにかられた。

子会社化は経済的理由であったが、結果的には立地地域の安全に対する緊張感や、安全に関する地元自治体、住民への科学的、合理的説明を尽くす努力を省かせることにつながった。多くの地元住民からすれば、「会社がやっているのだから」と無条件に安全性を信頼していた。母親が子供のことを信頼するようなものだ。福島第一原発の地元でもそうだった。東京電力の経営陣がなんらかの経営判断の下に政策を決定する場合、地元住民を気にしなくてはならないというブレーキの一つが甘くなっていたことは否めない。
(つづく)

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