日本エネルギー会議

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情報開示の罠(3)

原発に関係する情報開示の問題を追っていた経済誌ベテラン記者の望月は、オフィスで午後のティータイムをパソコンでインターネットニュースを見ながら過ごしていた。東京電力が福島第一原子力発電所からの排水に関し、データ公表の遅れを踏まえ新たな情報公開基本方針を決定し、周辺環境に直接影響を及ぼす水やダストに関するすべての放射線データを公開することを原則として、国内外の専門家がその状況をチェックするとしたことを伝えていた。

「すべてのデータを公開か。」と独りごとを言いながら、東京電力の担当者の払う労力の大変さを思うと同時に、誰がそんなものを見るのかと虚しい気持ちにもなった。それはデータの隠蔽はしていないことを証するための行為であり、それ以外の意味はない。情報開示における情報はその時点での意味を持つものでなくてはならないと思うのだが…。今回の方針は外部有識者の提言を受けてのものだそうだが、当面の非難をかわすためのもので問題の先送りにしかならない。すべての測定値と言っているが、測定していないところは出てこないということだ。今後は新たなポイントの測定は意図的にしないでおくということも考えられる。こんなことではまた後で問題を起こしそうな気がしたのである。
 
三時間後、望月はJRの駅から少し離れた裏通りにある料理屋に向かっていた。白地に店名を染め抜いた暖簾をくぐり、女将に「お連れ様が先程からお待ちです」と案内された小部屋で待っていたのは地方電力会社ОBの織田だ。事務系の織田は原発の地元に置かれた電力会社の事務所長や本店広報部長を歴任したあと、子会社の役員となり現在は顧問になっていて、望月は駆け出しのころから妙に気があって現在まで年に一度は会っている。情報開示の問題について電力会社の技術系だけでなく、事務系社員の思いも聞いておきたくて、上京する機会があれば声を掛けてくださいと望月の方から頼んでおいたのだ。

部屋に入るとほどなく女将が現れて熱いおしぼりを渡しながら「いつもありがとうございます。飲み物は何になさいますか。」と訊いてくる。「まずは生ビールにしますか。今日は少し暖かいようですし」と望月。織田も「賛成ですね。東京は桜が開花したようで、早くて驚きました」と合わせる。女将は「では、料理の方も少しづつ出させていただいて」と言いながら下がった。時間が早いのでまだ他に客はいないようだ。すぐに中ジョッキと胡麻豆腐、生雲丹、山葵の先付が運ばれてきた。ビールで喉を潤し、それぞれの近況を確認したあと、望月はさっき見たニュースの内容を織田に話して情報開示の問題に入った。

「織田さんは今回の福島の汚染水騒動と対応をどうお考えですか。すべてのデータを公開と言っていますが、あまり意味はないように思えるのですが。」
「私にも経験があることですが、全データというのは大変ですよ。何も考えなくてもいい、全部だせというのは簡単ですが、その全部というのがどんな些細なことまでなのか、そんなことは出来ないし、意味もないと現場から突き上げがきますからね」と織田は答えた。望月が頷くのを見て織田はやや早口になって結論めいたことを一気に話し始めた。

「情報の発信側には、この程度は公開すべき、こんなことは公開不要だという常識があるのですが、時と場合によってはそれがまったく受信側には通用しないのです。マスコミなど受信側は背後に国民を背負っているので、その時代や社会の空気などに左右されるため、普段は見過ごされているようなことでもニュースバリューを持ってしまうことが往々にしてあります。

そのために、発信側がトラブルや故障などに対してあらかじめどういう場合にどの程度、またどのくらいの早さで公表するかという公表基準を定めておいても、その時になると使えなくなることが多いのはご存知のとおりです。結局は事故・トラブルの当事者である発信側が、その場その場で社会の空気や受け手の欲するところを読んで、それにあった情報を最善のタイミングで開示する、という以外にはないように思われます。」

望月は、要は世間の空気を読むセンスが広報部門に問われているということかと解釈しながらも、もう一度基本的な問題に遡って議論をしたくなった。

「実はずっと以前、福島第一原発と同じように汚染水を海に流してしまい、それを県のモニタリングで見つかった事件について、何年も後になってその電力会社の広報担当の方にお話を聞いたことがあります。技術屋と事務屋では捉え方が違うなという印象をもったものです。」

織田は次に運ばれてきた透明に輝く鱸の刺身に箸をつけながら、
「それは確か1980年頃に起きた問題ですね。当時の通産省の課長が未明に記者会見し、朝7時のNHKニュースで流れて大事件になったやつですな。情報開示問題の先がけといってもいい」と興味を示し話しの続きを促した。

「あのとき、新聞やテレビの記者やカメラマンが多数、原発の構内に押しかけ、会議室で状況の説明を求めました。対応したのは技術系の次長でしたが、漏洩した汚染水の量は湾内の海水の量に比べればごく僅か、この程度の漏洩は科学的に言って環境や住民の健康にまったく問題がないと測定値をもとに説明したのですが、記者たちは納得せずさらに紛糾したのです。濃度とか基準とか科学的知見が問題なのではなく、漏れないといっていた放射能が海藻を県が測定したら検知された。そういった騒ぎを引き起こした元を作ったのは電力会社だということで責められるわけです。マスコミも競争ですから、どうやったら読者の興味を掻き立てられるかを考えます。この事件は電力会社側もしばらくは何故漏洩したのか、わかりませんでした。そのことも事故を事件にしてしまいます。」

「その次長はその後どうなったのでしょうか」
「次長の説明そのものは正しい内容でしたが、会社としてはこれ以上突っ張っても叩かれるだけという状況ですから、同席していた事務系の管理職が次長の袖を引っ張って、とにかく頭を下げてお詫びするということでその場を収めたと聞きました。」
「私の経験からすれば、会社としては騒ぎをどうやって早く収束させるかが大切で、正しい正しくないという議論は後回しどころか、やっても傷を深くするだけだという判断をしがちです。ゼロリスクで考える国民に対してどのように説明しても火に油を注ぐだけ。すくなくとも事故を起こした当事者なのに開き直るのはけしからんと言われないようにしなくてはなりません。いくら技術系の次長が優秀でも頑張りきれませんね。科学的には正確な事実でも、基準には引っかからない程度のことでも、頭を下げてしまったとたんにやってはならないことをしたことにされてしまい、会社の首脳陣が雁首揃えて深々と頭を下げたところを写真に取られてしまいます。そうやってゼロリスクで考える国民を育ててしまったのは国と電力会社です。」と言って織田は無念の表情で首を振った。

望月は情報開示に関する業界の内実を知りたいと思った。
「情報の受け手側からすると、とにかく早く次の事実が欲しい。開示のタイミングについて、どうも発信側は出し渋る傾向にあると思うのですがその点はいかがでしょう」
「地元の緊迫した状況と受信側の立場をもっともよく知る現場の広報担当が、切迫する地域情勢を肌に感じて、事実関係の公表を早くしたいと本社に決断を迫ってもその状況が伝わらず、現場から最も遠い規制当局の了解が付くまでだめだとさんざん待たされた挙句、やっとお許しが出た時にはもうその情報価値は半減していて、受け手側にまだ隠していることがあるのではないか、当事者能力を欠いているのではないか、地元軽視だと不信感が膨れ上がります。もちろん規制当局側・本社側の事情も分かりますが、事業者にとってタイミングを失した情報開示は最悪の結果を招きかねないことを、電力会社はよく自覚しておかなければならないでしょう。」

織田の語り方はまるで昨日そんなことがあったのではと思わせるようで、織田の現役時代のマスコミや地元と本社の板挟みになって悩む仕事ぶりを彷彿とさせるものだった。

塗のお椀が運ばれてきた。蓋を取ると蓋の裏は金箔で絵が描かれていたので卓上が一瞬華やかになった。お椀の中身は、あいなめ葛打ち、グリーンピース、梅肉、木の芽。バランスの取れた色彩は十分に目を楽しませた。織田はそれを見て少し気を取り戻した。そこで、すかさず望月は織田に質問を放った。

「発信側から見てマスコミなど受信側のビヘイビアはいろいろと問題があると思うのですが。」
ビヘイビアという単語は単に行動というのではなく、素行などやや批判的な意味を持つらしいが、望月はあえて使った。
「よくぞ聞いてくれました。」と織田は笑いながら、言葉を継いだ。
「我々はマスコミ、地元自治体、所管官庁の三つに同時に対応を求められるわけですが、それではまずマスコミから行きましょう。」
望月は織田が話を素早く整理したのに驚きながら、お椀と箸をひとまず置いて膝を乗り出した。

つづく

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