日本エネルギー会議

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情報開示の罠 パート2

「これで本日のシンポジウムを終了したいと思います。ご出演の先生方に今ひとつ盛大な拍手をお願いします」と司会が発言すると会場から拍手が起き舞台の照明が落ちる。同時に客席の照明が明るくなり聴衆が席を立ち出口に向かい始めた。

ベテラン記者の望月は列にならんでいる人たちの一人に声を掛けた。
「河合先生。お久しぶりです。」
「やあ、望月さんも聞いておられていたのですか。」
声を掛けられた河合は元国立大学の教授で、現在は私立大学の名誉教授。公共政策が専門で福島第一原発の事故以前は、原発のパブリックアクセプタンス問題で、基調講演などもすることもあった。望月とは十年来の知己だ。
「先生、せっかくですから、このホテルのロビーでコーヒーでもどうでしょうか。お時間はありますか。」
河合には特別な予定はなかったので、二人はロビーの喫茶に急いだ。シンポジウムが終わったばかりでロビーは混雑していた。コーヒーを注文すると、早速、望月が口を開いた。
「先生はちっともお変りになりませんが、相変わらずお忙しいのですか。」
「大学を定年になったから、自由な時間が増えてと思ったら、いろいろ頼まれるし、福島の現地にも行くしということでかえって忙しくなったよ。」
と言いながらも嬉しそうだ。この年になれば外から声がかかり、元気で仕事が出来ることが一番と思っているからだろう。

河合は望月に「最近は、どんなことを調べておられるのですか」と尋ねた。望月は情報開示の問題を森にもぜひ聞いてみたいと思っていたので、この質問は好都合だった。
「先生ご専門の原発のパブリックアクセプタンスにも関係することなのですが、電力会社が原発関連でなぜ情報開示に失敗が多いのかを考えています。」
「情報開示の問題は、つい先ごろのマグドナルドの件でもわかるように、一般の業界でもよくあることですが、原発関係では特に数が多いということなのですか。それとも…」

望月は河合がいつものように的確に問題の範囲を絞り込んできたと思った。
「いえ、数が多いというデータはないのですが、電力会社の場合もやはり火力より原発の方が情報開示の問題は多いと思います。しかし、もっと不思議なのは、今回の福島第一原発の汚染ル雨水のように、痛い目にあっているはずなのになぜ繰り返すかということです。もしかすると原発が始まって以来。そして将来も続くのかと。」
「なぜ繰り返すかと言えば、ずばり対応策が不十分だからでしょう。喉元過ぎれば熱さ忘れるという喩えもあります。いままでは情報公開の失敗で会社が潰れるようなことはなかった。私が知っているただひとつの例外は、日本原電の子会社が使用済燃料用容器の製造過程でデータ改ざんしたのを内部告発されて、会社ごとなくなった事件です。どのみち電力会社は潰れない。国も守ってくれるし、地元も許してくれる。社内で犯人さがしはしないし、組織的に責任は分散できている。人事異動をする程度で重い処罰もない。責任をとって社長がやめても院政に移行する。役所も監督責任を問われないように、電力会社を呼びつけて厳重注意をしているところをメディアに撮らせる。メディアがその儀式をちゃんと読者に伝えてくれることをわかっているからです。地域独占なので国民としては、電気はその地方の電力会社から買わないわけにはいかないから不買運動も無理だ。だから時間が経ち世代が代わるとまた甘くなる。」

望月は、さすがに河合は業界事情に精通していながらもシビアに見ていると感心しながらも
「それでも、長期に原発停止などを喰らえば、電力会社の痛みは相当なものだと思いますが」と聞いてみた。
「うん、そこがマグドナルドと違うところです。総括原価方式なので失敗して費用が増えても料金で回収してしまう。競争はないので客が逃げる恐れもない。騒げば結局消費者の負担が増えるという構造になっているのです。」
「では、情報開示に失敗しても本当に痛い思いをしたということにならないのですね。国の研究機関の場合の方が研究予算を削られるのでまだ痛みがあります。電力会社の場合はしばらく頭を低くして、嵐が通り過ぎるのを待てば良い。」
 
河合の鋭い指摘に相槌を打ちながら望月は次の質問に移った。
「痛みが少ないということはわかりましたが、電力会社に同情すべき点はないのですか」
河合はしばらく考えて口を開いた。
「あえて言うなら、原発に関係する法令や基準がかなり保守的に決められていることと、基準以下のものについても人々が割り切らないことがあります。国際的な基準を日本に取り入れる際に、国も事業者も反対派や世論の反応を考えて、基準を必要以上に厳しく定めがちです。また、基準以下だと言っても、被ばくによる身体的影響が神学論争になっており、コストや手間を考えに入れないで被ばくは少なければ少ないほどよいと主張する学者もいて、これを盾に反対派やメディアが発信するために混乱は収まりません。放射線管理に関する法律はそもそも原発向けに出来ていない。まして今回の福島第一原発の事故のようなことは想定していない。電力会社の技術者たちは、現実離れした基準だということを知っているから、この程度のことでは実際にはまったく原子炉安全にも身体的影響もないことだし、公表すれば混乱を起こすだけでと考えてしまう傾向があります。」

「必要以上に厳しすぎる基準や割り切りをしない考えは原発を運営している電力会社にとって迷惑な話だと思うのですが、国に対してこれを国際基準あるいは適正なものに直してくれと要求しないのですか。」
「電力会社はあえて世論やメディアを敵に回す戦略は取らずじっと耐えている。いままで要求したこともあったが、役人は火中の栗は拾わない。情報公開でミスをした後などに基準を厳しくはできるが、緩くするのは世論に逆らうことになるのでいつの場合でも困難です。それに通常であれば、電力会社はその基準でもなんとかやっていけるということもあったのでしょう。」

望月には思い当たる節もあった。
「そういえば、データ改ざんでの一連の不祥事のときに東京電力の南社長が退任会見で、原子炉内の機器のひび割れについて国の基準が常に新品同様を求めるようになっていることがこうなってしまった原因だと言っていましたね。あれは基準の見直しに腰が重い役所に対する不満だったわけですね。」

「現場の多層構造も」と言いかけて、河合は残っていたコーヒーを飲み干した。混雑していたロビーも今は人がまばらになっている。
「現場における日本独特の多層構造の請負体制も、情報開示にとってやっかいなものです。多くの問題は現場で起きるが、電力会社がやっている現場作業は中央制御室における運転操作だけ。そのほかの現場作業やメンテナンスは子会社やメーカーなどたくさんの下請を抱えた委託先や請負先の仕事になっています。事故やトラブルは現場で起きますが、その情報が上がってくる際に、中間に何社も入っていると、それが何重にも障害となって、生の情報が電力会社に入りにくくなる。また、スピードも遅くなる。受注企業側は営業上マイナスとなるような情報は電力会社に伝えたくないものです。」

望月は情報開示に関して、河合が国民やメディアの反応をどう思っているかを知りたくなった。
「国民やメディアの側にも問題はないのでしょうか。」

河合は望月の顔を見ながら、いたずらぽい表情で
「信頼しているときは信じられるが、そうでなくなると不信になる。」
「なんだか禅問答のようですね。わかるような気もしますが、そのことは当たり前ではありませんか。」

望月の反応を予想していたように河合が解説を始めた。
「国民もメディアも事実を自分で確かめないで人の評判でものを判断する傾向があるということです。一言で言えば非科学的、非合理的な態度です。自分というものを持っていないからだとも言えます。より多くの人が言うことが正しくて、少数意見に正しいものはないと決め込む。いわゆる付和雷同です。多くの人が専門的なことを自分で一から考えたり、勉強したりすることを無理だと最初から諦めている。」

「では、原子力の場合も国民が納得して進めたのではなく、一方的に国、電力会社が推進したものをよく検討もせずに容認しておき、事故が起きたり、反対派が反対したりするとまた安易にそれに乗ってしまうということですか。メディアは伝統的に政府や大企業というものをいつも不信の目で見る習性がありますが、人々が正しい判断が出来るようにいろいろ材料を提供しているつもりです。」
「メディアも国民と同じで、わからないからその道の権威のところへ行って意見を聞いてそれを書く。それはまだましな方で、役所や電力会社が横書きで発表したものを縦書きにするだけという場合もある。新聞社に科学部というものがありますが、社内でどういう役割を与えているのかは見えません。専門家の意見は原則として両論併記、そして証拠をしっかり確認する。外国の例も含めて書く前にしっかり調べる必要があると思うのですが実際にはどうでしょうか。」

河合が痛いところを突いてきたので望月は話題を変えることにした。
「自分で事実を確かめることをしないのは日本人だけではないと思います。日本人が特にその傾向が強いということなのでしょうか。」
「世界共通でしょう。ただし、自分で事実を確かめようとすると妨害されたりする国もあります。」
望月は河合が、中国で大気汚染を告発しようとしてインターネットに映像を流したらいつのまにか当局から削除されていたというニュースはそれに当たるのかなと思った。
「あえて言うなら日本の場合は技術先進国だが、そのもとになっている科学というものに対する国民の理解は今ひとつだと思います。西洋では中世以降、教会の力が絶大で聖書に書いてあることに疑いを持つことを許さなかった。挙句の果てに長い時間かけて聖書に書いてあることが真実であることを証明しようと徹底的に天体の動きなどを調べようとした。その結果、皮肉なことに調べれば調べるほど聖書の内容が疑わしいものであり、真実は別にあることがわかった。それが科学の始まりです。日本の場合、その成果である科学技術を器用に使い製品も作れるし便利さも享受しているが、事実をひとつひとつ確認して積み上げて多大な犠牲を伴いながらも、真実を暴き出し権威を打ち破るということを社会が経験していない。欧米では科学が産まれ育った社会なので人々はそれがどのようなものか自然に理解している。技術についてもプロフェッショナリズムが確立している。長い歴史の積み重ねの結果そうなっている。まあ、これについてはいろいろな意見があると思いますがね。」
 これを聞いて望月は最近の理化学研究所のデータ改ざんを思い出した。確かにあんな行為をする研究者たちには科学する=真実を追求することに対するこだわりが不足しており、科学が社会的成功や経済的成功の道具に堕ちてしまっている。日本はこの面ではまだ途上国なのだろうか。あるいは明治時代の科学者の高い志が引き継がれなかったのだろうか。
 
望月はさらに河合に質問をぶつけたくなった。
「先生は基準値以下で健康にも影響がない数値でも、情報開示を求められることがあると先ほど言われましたが、その場合も開示しなければ隠していたということになるのは電力会社にちょっと気の毒なような気もしますが。」
「それは原発に絶対安全を要求していることと、数値はともかく隠していたという事実だけを問題にして、そんな電力会社には原発のような潜在的に危険なものを任せてはおけないという人々がいるからです。メディアも概ねこれに乗って批判的な記事を書くのですが、電力会社がもともと絶対安全とは言わないまでもそれに近いことを言い続けてきたことも確かです。ですから身から出た錆とも言えます。」

河合の説明は望月の新たな疑問につながった。
「絶対安全を求めることで過剰な要求をすると言われましたが、旅客機や薬物や化学物質を使う際は絶対安全は求めずに使っているので、日本人はある特別なものだけに絶対安全を求めるようです。食品衛生などにもこの傾向は見られます。放射能は嫌われもので、いまだに福島県産を避ける行動をとっています。子育てなどにも行き過ぎた潔癖症が見られ、却って子供にいつまでも免疫がつかないということも起きているようです。これはなぜでしょう。」
「それは代替品の存在が大きいと思います。原発の場合はずばり電気ですから、火力発電で発電した電気となんら区別はつきません。コストや環境に与える影響などはあまり考えてはいないという前提ですが…。食品などはほぼ代替可能です。もちろん遺伝子組み換え大豆や中国産を避けるとかはあります。旅客機の場合は船や鉄道とは早さが違うので代替品とは言えません。代替が効かない場合や利便性や経済性が格段に大きい場合は我々は絶対安全を我慢します。私はいまでも旅客機に乗るときは、墜落の可能性はとても少ないし、もし墜ちたらしかたがないと自分に言い聞かせています。子育ての場合は、我が子はその子だけですし、また幼少期は一度だけなので、大きな犠牲を払ってもリスクを少しでも下げようとする親の気持ちが働くのでしょう。今の日本は、そんなことが出来る恵まれた社会だということも出来ると思います。学校教育の問題、不安を駆り立てるメディアの商業主義、政治的利用などもその背景と考えられます。最近では個人が目立ちたいがためにインターネットに根拠のない情報を流すこともありますよ。」

「日本の特殊性はわかりましたが、それでは情報開示のあるべき姿とはどのようなものでしょうか。」
「どのくらいまでオープンにするかはその時の環境、外部の要求によるものなのでずっと同じやり方やレベルを決めて行うことはできません。ほとぼりが醒めて外部が求めなくなれば、労力がかかる法令基準以下の細かいところの情報開示はやめてしまい、役所やメディアなど受け手側も、問題になるようなことがあったらすぐに知らせてくれということになります。企業としては外部の変化を敏感に感じ、世間の関心を先手、先手で読み、それにあった開示をするということが必要になります。情報開示の担当者は中で網をはっているとともに、常に外の空気を吸っている必要があります。それから、格好のいいことばかり言っていてはダメです。後で苦しくなりますから。企業が情報開示に失敗しても、代替わりをして経験者がいなくなると、引き継がれなくなる。情報開示の世界でもやはり経験の伝承が大事です。」

 ホテルのロビーは団体客で再び混雑しはじめた。望月が時計を見るともう一時間も話をしたことになる。
「河合先生、今日はお引き止めしてすみません。大変参考になりました。」
「いやいや、こちらこそありがとう。今の世の中は情報が目まぐるしく行き交うようになって、情報開示の問題はますます複雑化しています。情報通信機器はどこまでも発達していきそうで、人間が対応出来る範囲を超えそうです。逆に対応をどうすればよいかコンピュータに聞く時代がくるかもしれませんね。」

情報開示の罠 以下は前回分の再掲

地下鉄の出口から電力ビルの玄関まで一分もかからないがそれでも少し濡れてしまった。このところ、天気は三日ともたず晴れと雨を繰り返していた。そうしながらもだんだん暖かくなるのがこの季節である。ベテラン記者の望月はそのまま玄関を入って正面の受付に行き、訪問相手の役員の名を告げた。若い受付嬢は役員室へ電話をしてから奥のエレベーターに乗って最上階まで行くように望月に言い、来客用IDカードを渡した。

エレベーターを降りると秘書課の女性が「お待ち申し上げておりました」と望月を笑顔で出迎えた。飾り気のない廊下は両側にドアが並んでいるが名札などは一切ないので、秘書が案内をしてくれなければ誰がどこの部屋であるかわからないようになっている。廊下の絨毯は厚く、足が沈み込んで少し歩きづらい。部屋に入るとそこは意外に狭い部屋で机と応接セットが置かれ、ガラスの扉の書棚とロッカーがあるだけ。机の上はきれいに片付いていた。部屋の広さという点では、以前訪問した地方の知事室がワンフロアーの半分を使ったとんでもない広さで、ワイドな窓からは県庁所在地の街が見下ろせ,遠くには雪をかぶった連峰が望めた。もともと県庁がある場所が城のお堀の中で、これでは領主気分になるのも当然だと思ったものだ。それから比べれば殿様と呼ばれている電力会社の役員室は上場企業の中でもいちばん質素だろう。
相手の役員とは既に面識があったので、秘書がお茶を置いて出ていったのを機に、本題に入ることにした。
「早速ですが、ついこの間も福島第一原発で、建屋屋上の汚染水が雨樋を伝って排水路に入り外洋まで流失しているのを1年あまりも隠していました。県知事も漁業者も大変な反発をしています」
役員は表情を変えず、ちょっと間をおいて「四年目にしてようやく廃炉工事や汚染水の処理に一定の方向性が見えてきただけに、確かに今回の問題は痛いね。」と応じた。

「今日お聞きしたいのは、電力会社は何故繰り返し情報開示で問題を起こすかについてです。その都度痛い目にあっているはずですが、これだけ繰り返すのはよほどの理由があると思うのですが」
「理由ということか。これは情報開示しなくても、あるいは本社まで伝えなくてもなんとかなると判断するからだろう。多くの場合、報告基準があいまいなことと、開示した場合の影響を想像することで判断が保守的になる。」

「原子炉規制法などで規制当局への報告事項は定められているのではありませんか。」
「さすがに電力会社も法律で決められている報告について隠蔽することは少ないね。会社が処罰されることもあるし、内部告発などで発覚したときの衝撃もすごいからね。法令違反の場合、報告を遅らせるといっても限度がある。しかし、基準がはっきりしない場合、解釈でなんとかなると考えてしまう。しかし一方で日本独特だと思うが、基準値以下だからといって黙っていたと問題にされるケースも多い。一次系の水が配管のつなぎ目から滴下しても報告しなくてはならないかと悩む。今回の汚染水外洋流出問題でも、一昨年にタンクから相次いで漏れた汚染水に比べれば、今回の濃度は1万分の1以下だった。」
「東京電力も情報の出し方が技術的観点だった、優先順位を低く捉えていたと釈明しています。それにしても、起きた事実だけをとりあえず公表するということは出来ないのでしょうか。」

それに対して役員は笑いながらこう言った。
「一番のプレッシャーはあなた方マスコミだ。会見で発表文を読んだとたんに、原因はなにか、危険度は、対策はと攻め立てられる。ある程度準備が出来ていなければ会見しても立ち往生してしまう。こういう事象が起きているだけでは、皆さんは勘弁してくれないでしょう。立ち往生すれば、それこそ当事者能力なしと書かれてしまう。」
「開示した場合の影響を慮ってということはわかるような気がしますが、具体的にはどんなことを想定するのでしょうか。」
「現場で問題が起きたときに、管理者がやることはやたらに多い。それをやっている間にあれこれと頭をよぎる。対処しながらも絶えず、なんとか開示しなくても済まないものかという思いを持つものだ。」
「原子力発電所や建設所の幹部であった経験から教えていただきたいのですが、第一報を受けた現場のトップは実際にどんなことを考え、どんなことを指示するのですか。」

役員は現場にいた頃のことをひとつづつ思い出しながら語り始めた。
「まず、それが事実かどうか確認するところから始まる。それから事態が拡大しつつあるのか、既に安定しているか。拡大する可能性があるのならすぐに手を打たなければならず報告どころではない。怪我人はいるのかいないのか、救出は行ったのか、放射能汚染や被ばくの程度はどうか、環境に対する影響はどうなのかを知らなくてはならない。しっかりした者をすぐに現場確認に行かせる。場合によっては自分も行ってみる。応急措置の状況把握や現場保存をどうするかも急ぐ。二次災害を起こさないようにも注意しなくてはならない。それから本社の管理部門に対する電話での一報だ。
次に社内外に報告する際に必要な材料集めに取り掛かる。一報を入れた本社ではどのレベルまで報告を入れるかをその場で判断する。それからは現場に対してさらなる情報を要求してくるので現場は体制を整えて対応しないとならない。」

「平日の勤務時間中ならそうでしょうが、休日や夜間だとそのとおりにはいかないでしょうね。」と望月が話を遮った。
「代理者をおくとか、それなりの体制は取っているが、とりあえず幹部と所要メンバーが発電所に集まらないと、当直長以下の運転員だけでは現場の緊急処置以外どうにもならない。どんなに急いでも発電所の会議室に集まるのに30分程度はかかってしまう。自然災害で道路が損傷したり、大雪だったりすると大変だ。その場合は、町にある事務所にとりあえず集合することになるだろう。」

「それに対しては原子力災害訓練がさかんに行われていますが。」と望月が口を挟む。
「通報訓練、招集訓練、対策本部を立ち上げての訓練など、個別に行ったり総合的に行ったりしている。それと別に現場での応急措置訓練、救命訓練、消火訓練、溢水時の訓練、放射線防護訓練なども従来から行われてきた。福島第一原発の事故以来、一段と現実に即した訓練を要求されるようになって、回数も増えている。現場の負担は増え続けているので要員の見直しを本社に要求してきている。」

望月はメモをとりながら、「すみません、先ほどの続きをお願いします」と促した。役員は「吸ってもいいかね」と言いながら背広のポケットから煙草を取り出した。それに火をつけながら昔、先輩に「当直長は原子炉が自動的にスクラムしたら、まず煙草を一本吸うくらいでないと」と言われたことを思い出していた。電力会社は福島第一原発の事故以降、発電所長の資質について、いままで以上に気にしている。
「その現場の図面や写真、作業体制や作業内容、過去の事例、法令になんと書いてあるのか、報告しなければならない対象はどこか、原因のおおまかな推定、どんな対策が考えられるか、どのような影響が考えられるか、など事態のおおまかな把握が出来ると簡単なメモを作成し、本社の主管部門にファックスを入れる。現場の幹部を集め、問題の対応体制を決める。請負工事や委託作業の事故の場合、メーカーあるいは工事会社の責任者を呼び、彼らの本社と連絡を取らせる。他の作業をどの範囲までストップするか、事故があったことが、どの程度の速さで外部に伝わるか。火災などの場合はすぐに外部から消防に通報が行く可能性があるし、放射線がからめば県などのモニタリングに引っかかる可能性もある。」

さらに役員は、
「ここら辺りの判断が、後に問題を単なる事故ではなく、不祥事にしてしまう原因になる。福島第一原発の事故以前の原発の長期停止の理由を調べると事故トラブル、大地震、不祥事がおのおの3分の1の割合だ。大地震と不祥事がなければ、日本の原発は欧米並みの稼働率に近づく。同じ事故トラブルでもその時の周囲の状況や内部の都合で、発表するかどうかの判断が変わってくるのでやっかいだ。」と付け加えた。

望月は話が核心に迫ってきた感じがして
「その状況というのは例えばどんなものですか」と興味深げに質問した。
「それは事故やミスを起こした時、たまたま他の重要案件が注目を浴びており、もしも発表すれば、その重要案件に大きな影響を与えて会社に大損害を与えてしまうことが予見できる場合だ。こんな時には人間の心理として情報開示を見送ることを選択しがちだ。現場だけでなく、本社も巻き込んで判断すればまだ良いんだが、現場の独断でやってしまうことも考えられる。」
 
今度は望月が話を引き取って、
「福島第一原発の場合で言えば、当時、東京電力はプルサーマル計画についてようやく地元福島県の了解が取れて実行に移れる状況だった。ここで貞観津波の話が出てくれば、第一原発はいままで想定してきた津波の高さでは耐えられないということになる。そうすると、せっかくのプルサーマル計画が頓挫しかねない。六ケ所村の再処理工場の試験がうまくいかないため、なんとしてもプルサーマル計画に目処をつける必要があったと認識しています。今回の汚染水外洋流出問題も、サブドレンの汚染水の浄化後の放流について渋っていた県漁連がようやく了解してくれそうな状況下で起きたと思ってよいのでしょうか。」
「それはわからないが、関係者の頭にはそのことはずっとあったと想像出来る排水路で高い数値が計測されて以降、この一年間だんだん追い詰められて重苦しい気分になっていたと思うよ。」と真顔で答えた。

「判断を迷わす原因として、他にどんな場合があるのですか」
「増設計画に地元が同意しそうな時、定期検査がやっと計画通り終了しそうな段階にある時などがそれに当たる。」
「なるほどわかります。自分たちのせいで仲間や会社に迷惑をかけたくない。」
「重大な問題を起こして役所や自治体からひどく叱らた直後に再び事故など起こした場合も辛い。今回報告することで過去に同じように開示していなかったことがバレそうな場合も躊躇するだろう。」

秘書が茶碗を片付け、コーヒーを運んできた。
「事故や環境に影響を与えることなど、どこの工場でもありうることですが、原発だから問題になるということがあるのでしょうか。」
「原子力と言えば放射線や放射能だが、世間では、それが目に見えないのが問題と思われているが、実はどんな微量なものでも測定出来てしまうことが問題なのだ。法令で基準は示されているのだが、それ以下であっても漏れた、漏らしたということになれば、大きく取り上げられる。当事者としてはこの程度ならと考えがちだ。今回の福島第一原発の汚染雨水流出でも、廃炉。汚染水対策最高責任者の増田氏が、地元の関心が高い情報に思いが至らず大変申し訳ないと謝罪している。」
「謝罪と言えば、柏崎刈羽原発で2003年に見つかった海底活断層を2007年まで黙っていた件で広報部長が、意図的に隠していたのではない。ご説明の機会がなかった。きちっと説明すべきだった。申し訳ない。わかった時点で公表していくよう、情報公開、透明性の担保といった観点からすれば当然やらないといけない。今後、発表はしっかりとやっていくと謝罪していました。」

役員は知らなかったとみえ、「そんなことがあったんだね。」と言いながら、以前なにかの機会に見た他社の新入社教育用のビデオのことを思い出していた。それは原発不祥事のさきがけともいえる1981年の放射能漏れの反省から作られたものだが、その中で当時の所長は『我々にとって大したことではないと思うことでも、住民の方々にとっては大変心配なことなのです。そういうことを皆さんは理解する必要があります』と述べていた。だから電力業界は情報開示に関して30年かかっても、あまり進歩していないことになるなと心の中で苦笑していた。このあたりは実際に経験してみないとわからないし、世代交代すると伝わらなくなる。これはなかなか難しい問題だ。

「東京電力は2年前、トラブル発生時の素早い情報発信のためとして、社長直属のソーシャル・コミュニケーション室を作りましたが、今回の測定データはそこには報告されていませんでした。今後はソーシャル・コミュニケーション室を含めた社内でデータ共有を進めると言っています。やはり社内でも大勢の人の意見を聞いて情報公開するかを決めないといけないようです。」
「今は少なくなったが、以前には技術系でどんどん決めて、騒ぎになったことに事務系の人がようやく知るということがあった。知らないと外部対応の第一歩でつまづくことになる。その問題が社会的にどのような影響を与えるかは、普段から地元の人などと接触している事務系の人の方が的確に判断出来るだろう。もっとも技術系の社員を地元の各戸訪問をやらせたりしているのはそういう意味があるのだが…」

「確かにどこまで開示するかは難しいですね。その時の状況にもよりますし。」
「不祥事の後は、なんでも開示、報告ということになると、今度は受け手の方が面倒になって必要なものだけセレクトしてくれと言うようになる。だが、それを勝手だと非難するわけにもいかない。役所もそのあたりを仕切ってくれはしないし、メディアと一緒に電力会社を叩く側になる。ついついボヤキになってしまうが、完全なる第三者によるジャッジがあると助かるかもしれないね。」

一時間後、望月は役員と秘書に見送られてエレベーターに乗り、一階の玄関まで来ると、歩道は濡れていたが雨はすでにあがっていた。横断歩道の信号機が赤から青に変わった。望月はそれを見て、機械というのはすごく単純で、それで信号機のことをゴーストップというのかもしれない。情報開示についてそんな信号機があれば、電力会社の現場の苦労もなくなるが、そんなことは百年経っても出来ないだろうと思いを巡らせた。

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