日本エネルギー会議

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平井弥之助のような人物

平成23年3月11日の東日本大震災のあと、我々はかつて東北の地に卓越した見識と強い使命感を持った人物がいたことを知った。その人物とは、東北電力の副社長であった平井弥之助である。平井は明治35年宮城県の出身で東京帝国大学工学部を卒業し土木技術者として東邦電力に入社。松永安左衛門の薫陶を受けている。昭和26年に東北電力白洲次郎会長の下で常務となり、主に水力発電の開発を行い、昭和35年には副社長となった。

平井は社内で地震・津波対策の重要性を主張し、「貞観大津波は出身地近くの岩沼の千貫神社まで来た」と語った。実際、昭和32年の新潟火力発電所の建設にあたっては、地震による地盤の液状化に備えて、長さ12メートルの超大型のケーソンを作らせた。また、大型の基礎を作らせて火力機器をその上に設置した。その結果、発電所は新潟地震の際の地下10メートルにも達する液状化現象にも耐えることが出来た。

女川原発の敷地の高さについてもこだわった。「海岸施設研究委員会」に参画し、貞観級の大津波に備えるため敷地を14.8メートルの高台に設けることを強く主張し、さらに引き波時に海底が露出する事態に備えて取水路を工夫させた。東日本大震災では、福島第一原発と同じく14メートルに近い津波が女川原発を襲ったが、高台に設置された3基の原子炉には達せず、3基の原子炉は無事に冷温停止した。

福島第一原発が次々とメルトダウンする中、大津波に耐え近隣住民の避難所ともなった女川原発に驚きの声が集まったが、私は平井のような人物が電力会社にいたということの方に注目したい。平井のような人物がいなかったら、女川原発も福島第一原発と同じような運命を辿ったかもしれない。出身地における大地震大津波の知識があったとはいえ、このような危機感を持って持論を社内で通しきったことこそ素晴らしい。

平井の生い立ちもさることながら、初心を忘れずさまざまな抵抗に屈せずに供給責任と安全責任をまっとうすること主張し、それを実現出来たのは何故か。東邦電力や東北電力の社内で、どのようにして人材発掘、育成、登用が行われたのか。電力会社において管理職、役員へのステップを登る間に、個性が強く妥協をしない者はしばしば隅に追いやられる。また、トップ層になればなったで、大きな組織のなかで長期の目を持ち真のリーダーシップを果たすのは難しいものだ。平井のような人物が育ち、上り詰め、信念をまげずに事を成就した東北電力の社風や教育内容、人事の選抜の考えを研究することは、原発事故原因に対するソフト面の対策として必要なことではないか。

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