日本エネルギー会議

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終戦記念日に

終戦記念日にテレビを見ていたら、「戦争の悲惨さを若い世代に伝えることばかりやっていてはだめだ。なぜ、戦争を始めたのか、なぜ戦争に巻き込まれていったのか、なぜ途中で戦争をやめることが出来ずに敗戦に至ったかということをしっかり伝えなくては」と発言するコメンテーターがいた。

私は敗戦の前年の生まれだが、中学校の頃、明治生まれの母に「なんであんな無謀な戦争をしたのか。誰も反対しなかったのか」と問うたところ、母は「気がついたときには、もう反対出来るような雰囲気ではなかった」と答えた。要は気がつくのが遅かったので、ひとりの国民としてはどうにもならない状況だったというのだ。それなら、もっと早く気がつく必要があったのである。それはいつの時点で、気がついたらどうすればよかったのかを考えるしかない。

福島第一原発の事故は、敗戦に次ぐ二度目の敗北などと言われたりするが、やはり何故事故が発生したか、何故自然災害からメルトダウンに至ることに思いがいたらなかったかより、長期の避難生活や廃炉の困難さなど、災害の悲惨さを伝えようとすることが多い。

結果の悲惨さを若い世代に教えることで、二度とそうならないようにしっかり考えてもらいたいと言うのはわかるが、果たしてその過程を教えずに、何がそのような道に入り込むことになるきっかけになったのかを教えなければ、再び気づかないうちにもう戻れない状況になる可能性は高い。

「国民一人ひとりが、あるいは当事者が事故を起こさない、戦争をしないという気持ちを持つことが大切」というだけでは、精神論であって科学的、合理的ではない。敗戦や事故の悲惨さを強調することが、逆に冷静な原因分析、早期発見のための大事なポイントの研究、学ぶ機会などを少なくしてしまっているのではないか。

福島第一原発の事故に関して、かつてどんな機会に事故の原因となることがらが排除される可能性があったかについて考えるとしよう。過酷事故に的を当てれば、まずスリーマイル島の事故の時であり、どんなに遅くても海外で過酷事故対策が検討され実施されているとの情報が入ったときである。また全電源喪失に的を当てて言えば、台湾の原発で長時間の電源喪失状態が起きたときである。一般国民がそれを知る由もないのだから、原子力の関係者、国際機関に勤務していた者、あるいはメディアがその時これを敏感にキャッチして警鐘を鳴らすとともに、国民に伝える必要があった。

福島第一原発の事故から3年半経った現在、しかるべき立場にいる人たちは、以前より格段に努力して、よくその役割を果たす気構えを持つようになっているのか。私が知りたいのはそこのところだ。

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