日本エネルギー会議

  • 設立趣旨
  • お問合せ

福島復興の姿

福島復興についてどう考えるかを問われることがしばしばある。復興とは元に戻すことだが、質問した人は福島が事故以前にどのような状態であったかよくわかっていない場合がある。地元の人ならば感覚的に経験的にわかることが他の地域、特に東京に住んでいる人にはわからないことが多い。

これは福島第一原発の事故前の写真だが、原発の前は海が広がり、背後は見渡す限りの緑の大地だ。濃い緑は山林になっている。薄い緑は田畑や牧草地だ。建物などは点在しているにすぎない。福島第一原発の事故後、多くのテレビ番組が映し出す地元の町村の光景も、のどかな田園風景と漁港、田舎の小ぢんまりした商店街の姿がほとんど。農業など第一次産業以外になにがあるのか、あるとすれば原発くらいかと思うのも無理はない。ところが、働いている人の就業割合は次の表(2005年の国勢調査)のとおりで、見事にその農村イメージを裏切るものとなっている。第一次産業は1割、建設業や製造業の第二次産業は3割。残り6割をサービス業や電気事業の第三次産業が占めている。

就業構造は福島県全体でもこの割合であるし、日本中の原発立地市町村でも、一部の例外を除いてほぼこの比率である。また、その地域のGDPについてもこの比率に近いのだ。

福島県、特に原発のある「浜通り地区」について、復興という言葉通りに考えると、外見は自然あふれる田舎そのものであるが、人々が何を仕事としているか、地元の経済が何によって成り立っているかは、サービス業が半分以上、あとは建設業、電気事業で9割なのだ。復興とは田畑から除染で出た放射性廃棄物を詰め込んだ大量の黒いビニールパックをどこかに移動し、再び稲などの農作物を実らせることで、日本の田舎の風景を回復することであり、サービス業などを再び盛んにして雇用と生産を産み出すようにすることとなる。

サービス業は電気事業、水道事業、行政機関なども含まれるが、多くはコンビニ、スーパー、ガソリンスタンドなど販売業と飲食店、流通、金融、保険、修理、医療などである。地方においてサービス業の顧客となっているのは、第一次産業や第二次産業によって雇用されている人、行政機関や自治体関連団体によって雇用されている人、サービス業によって雇用されている人自身、年金生活をしている人、そしてそれらすべての家族である。したがってサービス業の顧客となる第一次、第二次産業と第三次産業のうち電気事業や行政機関に雇用されている人の数をしっかり確保しなくては、最大の産業であるサービス業を成立させていくことが出来ない構造になっている。

その意味で、農林水産業の再生、工場などの生産再開、行政機関などの元の場所への帰還が果たされ、家族ともどもサービス業の顧客の数が十分にならなければ、サービス業も地元での営業再開が出来ないことになる。避難している人に帰還条件をすると「買いものや公共サービスが受けられるようになっていること」との回答が多く見られるが、これは卵とニワトリの関係となっている。

十分な顧客がいなければ、スーパーも病院も銀行も店を再開するわけにはいかないと考えるのは当然だろう。浜通りの場合、原発や火発で働く人の数は一万人前後だった。今、廃炉作業は4千人とも5千人とも言われているが、除染の作業者も含め、すべてがいわき市など地域の外から通っている。彼らの消費はわずかに開いたコンビニやガソリンスタンドにおいてであり、ほとんどがいわき市などに落ちている。

今後、区域解除となったところから住民が帰還しはじめるが、卵とニワトリの関係を打ち破るために、自治体は当面サービスする対象者が少なくても、窓口を元通りに開設し、帰還住民に地元で買い物をする際に使える補助券の配布などをすることが望まれる。商店の方も高齢者のために宅配サービスをすることが考えられる。国や県が実施したアンケート結果によれば、働き盛りの年代が子供のために双葉郡以外への移住を決めてしまっており、帰還は高齢者が中心となると見込まれるが、彼らにサービスを提供する働き盛りの世代も帰還してもらわねば高齢者の生活が成り立たない。この世代にも制度的になんらかの経済的メリットを与える必要がある。

大熊町など原発周辺の4町では、区域解除後の町の人口が当分の間、元の3分の1、4分の1になることを覚悟している。働き手の少ないこの状態では産業はなりたたない。第一次産業においては就業者の高齢化と引退が進んでおり、帰還したとしても多くの人が本格的な農業、林業を行うことは出来ない。そうなれば、地域の特徴である整備された里山や手入れのいきとどいた田畑、適度に間伐された山林や竹林、草がきちんと刈られた農道やあぜ道、ゴミのない用水路などを復元することは難しい。農業が環境を守ってきた役割が、いまさらながらに認識出来る。

これから双葉郡の情景は、のどかな田園ではなく、今立ち入りの時に見られる荒れ果てた田園のままとなる可能性が高い。下の写真は、富岡町我が家の近くの田圃が住民の避難から2年で草だらけになっている情景だ。国は除染で出た放射性廃棄物の仮置き場のために、この田圃を稲作による収入の約二倍の賃料を支払って借り上げることで農家と交渉中である。中通りや会津、それにいわき市は避難者が流入移住したことで、一時的に景気がよくなっているが、浜通りにおいては産業の復興も景観の復興も、極めて厳しいものがあることを覚悟しなくてはならない。

  • データベース室
  • エネルギーとは?
  • 世界と日本のエネルギー
  • 原子力の論点
  • 放射線と健康