日本エネルギー会議

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見たくないもの

事故調査・検証委員会最終報告の「畑村洋太郎委員長の所感」に書かれた、 「見たくないものは見えない。見たいものが見える」は、畑村氏もキーワードとしてインタビューで使い有名になった。この言葉は、我々の経験から言っても人間社会の真実を捉えていて、いろいろな意味で発想に刺激を与えてくれる。

もともと我々は個人として「見たいもの」を持っている。妻から年寄りのくせに食い意地が張っていると言われている私は、新聞、雑誌から美味いものの記事がまず真っ先に目に入る。女性はファッションや美容の記事はすぐに目とまる。

私が畑村氏の言葉で、少し疑問を持つのは、「見たくないものは見えない」だ。
「見たいもが見える」ことで、その陰にあるものが、目に入りにくくなるのは、確かだが、逆に普段から「見たくない」と思っているものは、気になりはしないか。ミイラなどは気持ちが悪いので「見たくない」と思っていても、テレビなどに出ると、ついつい見てしまうものだ。言葉尻を捉えた議論のようで申し訳ないのだが、「見たくないものは見えない」のではなく、「見たくないものは、見えていても無視しがち」というのが本当のところではないか。

自分にとって都合の悪いものは、見えていても無視したり、勝手に過小評価したりするのではないか。極端な場合、「チラリとは見えていたが、見えてなかった」ことにするということもある。今になって胸に手を当てると、原発の現場でもそのようなことがあったと思う。

すぐにはまずいことにはならないだろうと思いつつ、上司や仲間に言っても「今更どうするのだ」「お前だけの責任ではない」「目の前にもっと大事なことがある」「敵に塩を送るようなことをするべきではない。こっそり直せば良いのだ」などと返事をされれば、組織を動かしたり役所を動かしたりするのは、とてつもなく大変なことだと分かる。

自分の悪いところなら、自分次第でなんとでもなる。大組織の困るところは、例え社長であっても、よほどのワンマン社長、オーナー社長でないと「ちゃぶ台返し」は出来ないところだ。これを書きながら、福島第一原発の事故の前に、国と東京電力の間で、貞観地震についてどんなやり取りが行われていたのだろうと想像が働く。

あの事故より前、電力会社で不祥事が続いた時に、内部告発が各社の中に制度化された。成果が上がったということは聞いていないが、この制度はもっと生かされるべきではないか。少なくとも内部告発があれば、それに対してどのように処置をしたかが内部的に記録に残る。そうなれば、例えそれが実を結ばず、みんなで赤信号を渡ったとしても、連帯責任が明らかになり、それは赤信号を渡ろうとする際の心理的ブレーキとなるからである。

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