日本エネルギー会議

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信頼醸成について考える(その三)

「安全は何かと言えば、危険がないこと」のように、「信頼は不信がないこと」と考えたらどうだろう。我々が相手に不信を抱くときは、どのような場合だろうか。

相手がアンフェアーなこと、例えば不利な情報を隠したり、有利な情報を誇張したりして、それが後でわかった場合は不信を抱くものだ。まして嘘をつかれれば、言い訳も聞きたくはない。言う事がコロコロ変ったり、やる事がいつも一定でなく、お天気屋だったりもそうだ。言行一致せず、約束を守らない、損害を与えても謝らなかった場合はさらに不信感が募る。

そこまで行かなくても、期待を掛けているのに、真面目に取り組まない、何回注意しても直さなかったり、同じような間違いを連発した場合も、がっかりすると同時に不信にも陥る。自らの非を認めず他人に押し付け責任逃れをしたような場合もそうだ。

私利私欲で動いていることが見え見えだったり、他人のことなどおかまいなしだったり、感情的な言行も不信となる。相手によって態度を変え、権威や権限を振りかざし、経済力を見せつける、相手の立場や弱みを利用するようではだめだ。他と比較されたり批判されたりすることを恐れる場合もある。これらは個人のことが多いが、組織ではこのようなことが組織的に行われる可能性がある。ガバナンスが効いていない場合、組織の一員が勝手にこのようなことをする場合も、組織そのものに対する不信感を持たれることになる。私は、原子力開発において、このようなことがいくらかでもあったために、「信頼の醸成」がいまだに大きな課題として残っていると思っている。

信頼を醸成するためには、個人であっても組織であっても、このような不信感を持たれるようなことをしないことだ。積極的に信頼を醸成しようとするのではなく、不信感を持たれないように言動を律すること。レストランのシェフは星をつけられることを甘んじて受け入れているが、原発に関しては電力会社は星をつけられることさえ嫌がる傾向がある。信頼を与えようとする行為を、これみよがしにする人は、かえって怪しまれるものだ。 

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