日本エネルギー会議

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中通りの暮らし

 福島県は東から西にかけて浜通り、中通り、会津の三地方に区分される。気候風土は三地方で大きく異なる。事故後一旦は、浜通りから中通りや会津に避難した人も、いわき市など浜通りに戻る動きが続いたが、次第に中通りや会津に定着して、そこでの生活を続けようとする人たちも現れている。埼玉県加須市に避難した双葉町の人は半数が、役場がいわき市に移っても、自分たちはそのまま加須市に居続けることを選択している。大熊町、双葉町、富岡町、浪江町は帰還困難区域も大きく、そこに家のある人たちは帰還を半ば諦めていることも影響している。
 私は富岡町から須賀川市という中通りの町に避難して二年になるが、一番の苦労は気候に慣れないことだ。毎日テレビの天気予報を見ていても、浜通りは中通りや会津に比較して、夏は最高気温が数度低いし、冬は最低気温が数度高い。浜通りから避難した人にとって、夏の蒸し暑さと冬の雪と寒さに耐えて生活するのは大変だ。富岡町の自宅は十年前に建てたものだが、エアコンはどの部屋にも設置していない。夏は軒先にすだれを垂らし、冬も石油ストーブ一つで十分だった。昨日は晴天の中、一時帰宅したが日差しは強くても、海からの霧がかかって、ひんやりとした空気に覆われていた。
 もう一つ意外だったのは、中通りが田舎だったということ。郡山市は人口35万人の商業都市で新幹線も通っている。福島市は県庁所在地だ。須賀川市も人口7万人で歴史も古く、今は郡山市のベッドタウン化している。これらの町には、いわゆる全国チェーンの店舗は国道沿いにあるのだが、デパートは福島市、郡山市にそれぞれ一つだけ。おそらく震災の復興景気がなければ、長引く不況で会津若松市にあったデパートと同じように閉店していただろうと言われている。
 衣料品にせよ、飲食店にせよ、浜通りとくらべてそれほど都会的ではない。それどころか、女性の避難者が口をそろえて言うところでは、デパートの中は一通りそろっているが、町のブティックなどは浜通りの方が数も多いし、ファッションセンスが良い。確かに浜通りでは、飲食店でも数は少なかったが、それぞれ個性があり、地元で評判の店が存在した。中通りには店の数はあるが、ほとんどチェーン店に圧倒されて、個人の店は浜通りの人たちの評価ではどれも水準以下でしかない。郡山市で懇意になった地元の酒屋の主人が、浜通りから避難して、こちらで営業を始めた店がおいしい魚料理を出すと評判になっていると教えてくれた。須賀川市にも、以前南相馬市にいた人がラーメン店をやっているが、連日賑わっている。
 何故、避難している人たちが、消費について浜通りの方のレベルが高いと言うのか、その理由を考えたが、やはり原発のおかげで東京とのつながりが強かったこと、あるいは所得水準、消費水準が高かったとしか考えられない。魚料理については、浜があって昔から魚を食べ慣れていたことはあるにせよ、ファッションなどは少ない人口の浜通りでは、数十年間にわたって原発による経済的下支えがあったことが影響したのだろう。
 中通りは人口が多く、新幹線もあるのだが、普段から東京や仙台に行って買い物をする人の割合は少ないようだ。いわき市に行かずに中通りや会津にとどまった人々は、浜通りの生活を懐かしく思いながら、少しづつ避難先に慣れていくしかないのかと観念して暮らしている。

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