日本エネルギー会議

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不連続な人生

 先日、かつて大熊町に住んでいた三組の避難住民が集まった。集まったところは町の中心部で商店を営んでいた一組の夫婦が避難している会津若松市内の借り上げアパート。訪ねてきたのは現在、東京都下に避難しているが以前から付き合いのあった主婦と福島県郡山市に避難している夫婦ものだ。年齢はいずれも60代半ばから70歳。
 5人が、六畳の和室で座卓を囲んでお茶を飲みながらの話に花を咲かせる。竹かごに盛った駄菓子、ご主人がポットからお湯を何回も急須に注いでくれるのは大熊町にいた頃と同じだ。台所にある冷蔵庫は赤十字からもらったものだと誰もがわかる。仏壇の脇には孫たちの写真が入った額が掛かっているのも、高齢の避難者の暮らしの常だ。
 避難者同士が初めて会うと、まず避難当日の話になる。地震で公民館に避難していたら、翌日の早朝にたくさんのバスが集まってきて、これに乗ってすぐに避難してくれと言われ、家に帰る間もなくそのまま田村市に連れて行かれた。着の身着のまま、同じ下着を何日も着ていた。田村市に進出していたトヨタの部品メーカーのデンソーのできたばかりの工場のコンクリート床に直接寝かされたが、寒くて一睡も出来なかった。離れて住んでいた子供や孫との連絡もなかなかとれなかった。トイレがいつも混雑して汚いのには閉口した。ああいうときの自衛隊は本当にすごい。
 続いて、現在の避難生活ぶりをそれぞれ披露する。東京に避難している人からは、東京はどこよりも待遇が良いと自慢話。ボランティア団体がいまだに支援をしっかりしてくれる。さすがに最近は旅行などでは三千円程度の自己負担があるが、いままでいろいろな所に連れて行ってくれた。東京湾クルーズ、名所めぐり、スカイツリーはもう三回も行った。帝国ホテルのバイキングにも招待されたと言うので、他のふた組はあっけにとられ、やっぱり東京はすごい、避難するなら東京だねと。それから子供や孫達がどこにいるとか、誰それさんはどうしているとか、避難中や避難してから年寄りが亡くなった話だ。会津地方は冬になると雪がすごく、市が夜中にブルドーザーで雪かきをしてうるさくて仕方がない。これから夏になると四方が山なので暑さもひどい。
 一時帰宅したかというと、最近はあまり行く意欲がない。地盤が弱かったらしく、家は地震で壊れているし、片付けも進まない。泥棒にも二度入られた。庭は草ぼうぼうで月に一度くらい帰ってもどうにもならないので放ってある。商店をやっていたご主人も会津若松では、何も出来ないので、夫婦は東電からの精神的損害賠償の月20万円で生活している。避難している人は何もやることがないので、ついついパチンコに行ったり旅行したりする。子供達に会う機会もあまりない。会津若松の人たちは皆親切で、いわき市であるような嫌がらせはないが、やはり金をもらっていることについてはうらやましがっている。
 賠償は東電の送ってくる請求書に従っているが、それでも内容が難しいので、電話をしたら、東京の場合は新宿から避難先のアパートに東電が二人で来てくれて、書類を書いてくれる。最近は終わってから茶飲み話などもして帰るようになっている。
 この二年間、畑仕事や花壇の手入れ、趣味のサークル活動などがないので、暇でしかたがないが、かといって家に帰る気持ちもだんだん無くなっている。高齢なので、被ばくの影響は心配していないが、避難したことで体の不調を訴えたり精神的にまいっている人が多い。この歳になって、人生終わりになっているのに、いままでの流れがプッツリ切れて、これから先どうなるのか見えないのは辛い。たぶん、5年後も戻ることにはなっていないと思って暮らしている。無料の借り上げアパートもまだ延びると思っている。夕方になったのでお開きになったが、東京から来た主婦はこのアパートに泊めてもらい、あす朝帰ることになった。

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