日本エネルギー会議

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創世期の頃

 福島第一原発の事故の原因は、建設された頃の世の中の風潮にも遡って調べる必要がある。その頃、我が国は工業化が大きく進み、高度経済成長を成し遂げた。新幹線開業、アポロ11号など人々が科学技術の素晴らしさを認識した時代でもあったが、負の面は取り上げられることはなかった。イギリス製のガス炉は東海原発の一基だけで終わり、敦賀原発1号機からはアメリカ製の軽水炉となった。
 欧米で実用化されたばかりの原子力発電の早期導入決定は、政治家、官僚、産業界の合意であった。アメリカ型軽水炉は、小さい割に大出力で、経済性で優れていた。図体の大きいガス炉は16万キロワットだったが、コンパクトな軽水炉は35万キロワットと倍の出力だった。日本のような地震が多く敷地の狭い国土に向いた設計であるとは言えないが、自前の評価能力は育っておらず、設計を変更することにすれば、巨額の費用と長い年月を要したため、契約は元設計のままターンキー方式で締結された。
 初代原子力委員に名を連ねた湯川秀樹博士は、自前の研究を積み上げず、安全性も十分確かめず、アメリカからの輸入に頼って商業炉の稼働を急ぐ拙速さに嫌気がさし委員を辞任した。日本の技術者はアメリカの原子炉メーカーなどに派遣され、貪欲に技術を習得し、同時にアメリカの合理性、経済性重視の考え方が身に付いた。
 原発の高効率、コスト優位を強調する考え方が関係者に浸透し、福島第一原発の立地にあたっては、東京電力の幹部は海抜が低い方が、取水用電力消費が少ないと判断した。津波に弱い低い敷地は、わざわざ海抜30メートルの高さの崖を海抜10メートルまで掘削して造られたものである。
 軽水炉の日本初号機は日本原子力発電によるオールジャパン体制で始まったが、東京電力や関西電力などはすぐに技術者を出向解除し、自前のサイトでの建設を目指し、基本的問題は先々の技術開発を見込んで先送りし、早期建設と発電実績を上げる方向に向かった。当時はまだ地震発生メカニズムの知見がなく、立地にあたって強固な岩盤と、低人口密度、大消費地への適当な距離など、経済性が優先された。
 発電が開始されると初期故障が次々と出て、この対応に追われ、根本的な設計立地問題は後回しにされた。人材面では機械工学、電気工学、化学などが中心となり、原子物理系の人材は薄くなった。原子力安全研究は研究機関が行う、やや専門的な分野となった。電力会社のトップを原子力部門出身が占めるようになると、社内で原子力部門の特別扱いが定着、部門間人事交流もなく社内で孤立していった。国は原発を国策として民間に任せ、電力会社は国の支援を最大限に受けることで両者の利害関係が一致。原発開発が国民の目から見えづらくなった。この時代、送電線への落雷による停電、クラゲ来襲などあったが、過酷事故につなげての検討はしなかった。その頃は、幸運にも大地震や津波がなく、関係者は自然災害に対する危機感を抱くことがなかった。こうして原子力の創世期は40年後の大事故の伏線を作り始めたのである。

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