日本エネルギー会議

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3月の今頃

 東日本大震災、原発事故が起きたのは6年前の今頃だ。その日、午前中は天気も良く、3月初旬としては暖かかった。午後になってもそれは続いたが風もなく何か変な暖かさだった。それまでが比較的寒かったからかもしれないが、ひとり居間のテレビで国会中継を見ていても周囲は静かだった。
 いつもだと草刈のエンジン音が遠くで聞こえたり、たまに隣人がトラクターで畑を耕すためにディーゼルを響かせることがあったが、その日はそうしたこともなかった。
 午後2時46分、突然細かな振動を感じるとそれはたちまち大きなものとなり、ガラス戸がビリビリとしだし、家全体が揺れ始めた。すぐに停電になりテレビは消えたが揺れはますます大きくなり、建物全体がガタガタと大きな音でつつまれる。
 もはやこれまでと素足にサンダルを履いて庭に飛び出した。車庫の脇の地面が少し地割れしている。自然石の山灯篭は倒壊。大きな庭石が左右に揺れている。家全体が大きく揺れていながらも、なんとか耐えているのが見える。
 縁側のサッシ戸の鍵が振動で外れて戸が全部開いてしまった。食器などが落ちて壊れる音がする。我が家の南側と北側の二軒の隣家の古い屋根瓦が一斉に砂煙を上げて崩れ落ちた。青空が少しけむりのようなもので霞んでいる。 
 30分後に津波が来るので高台に避難するようとの放送が繰り返し聞こえた。家が建っているところは海から数百メートルだが海抜20メートル以上あるので津波は来なかった。松林によって遮られしぶきさえも見えなかった。   
 夕方になると昼間の暖かさに反して急に寒さが襲ってきた。物を取りに家に入るとすぐに余震がくるので家の中には居られず車のなかで過ごす。寒いので時々カーエアコンをつける。眠れない夜が開けると、やや余震の頻度が落ちる。
 防災無線が「第一原発緊急事態による避難」を呼びかけたため、毛布や下着、温かいダウンジャケット、とりあえずの食料、飲み物などを車に積み込む。朝になるとまた暖かくなって、動き出した車はまもなく渋滞にかかり、窓を閉めていると暑くなるが放射能のことを考えて閉めたままにする。エアコンもガソリンが減らないように使用を我慢。
 午後3時頃到着した川内村は山間部にあり、広い体育館は夕方から急に冷え込む。広い空間なので寒さが押し寄せてくる。絶えず来る余震のなか、毛布が配布されたが、敷いても床は冷たい。灯油ストーブは燃料不足で深夜のみの運転。
 川内村からさらに西に避難しようとしたがすでに先々の避難所は満員。入れずに外に車を止めていると寒さが襲ってくる。犬が寒そうに外に繋がれているのが見えた。強い風は吹かなかった記憶がある。3日後、数十キロ離れた郡山市の大きな避難所にやっと到着。
 外はみぞれが降っていて、駐車場に停めた車で過ごす人には厳しい。施設の中では囲われた場所が人気。トイレの入口や自販機の前までびっちり人が座り込んでいる。誰もが配られたダンボールで囲みをつくり暖かくする工夫をしている。二階の外回りはデッキになっていてガラス張り。そんな寒い場所しか空いてない。
 3月末まで昼間は凌げるが夕方から朝までは寒かった記憶がある。温かい飲み物や食べ物が欲しかったが、冷たいおにぎり、菓子パン、牛乳、ジュース、水が配給される。カップ麺はごちそうだ。放射能より寒さが一番こたえた。6年たってもあの時の寒さのことは鮮明だ。

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