日本エネルギー会議

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日本人は何故原発が嫌いなのか(3)

アンケート調査によると日本人の多くが原発に否定的だ。この傾向は原発導入の初期を除いてずっと以前からあったが、福島第一原発の事故以降は世論として固定化しつつある。前回に引き続き、各理由についてさらに詳細に内容を検討するとともに、どのようなかたちで原発嫌い、原発拒否につながっているか、そして他の理由にどのように影響しているかを分析する。

2. 科学技術に対する日本人の独特な評価や受け止め方
科学という学問は欧米において始まり、科学の力で技術が急速に発達し、鎖国を解いた明治期にいっせいに日本に入ってきた。欧米ではもともと科学は思想であり、真実の追求という宗教的な意味合いがある。

科学は中世のヨーロッパで教会が聖書に書いてあることが真実であると証明しようとしてきた中から教会の意図することと逆の結果として産まれてきた。したがって科学は真実とイコールであり、そのまま受け入れる素地が社会にある。ガリレオは1632年に書いた「天文対話」で教会から異端審問を受け、翌年には宗教裁判にかけられ、「地動説はまちがい」と誓わなければ死刑だと宣告された。ガリレオは無理矢理「天動説」を認めさせられ、裁判の最後には「それでも地球は回っている」とつぶやいた逸話が残っている。

このような背景を持つ欧米と違って、外国から科学を受け入れた日本人は科学技術を手段として捉えることが多い。日本人にとって科学は真実としての関心より、蒸気機関車やガス灯の如く、格段の性能を持ち、いままで出来なかったことが出来る便利な発明品としてそれを使用することの方に主眼があった。   

昭和30年代に日本が原発を採用する際も、湯川博士などはもっと科学技術的に原子力の基礎が出来てから慎重に進めるべきだと抵抗した。それでも、国や電力会社は少ない国内資源を補う有用なものとして、できたばかりのイギリス製やアメリカ製の原発をターンキー方式で急ぎ導入した経緯がある。

日本人は科学技術至上主義ではない。それ以上に重視すべきものがあると考える。科学技術は好き嫌いの対象にはならないはずであるが、日本人の場合は好き嫌いをする。それは生きていくうえではいろいろな価値観が成立するのであり、極端な場合「不便であること」も受け入れ、その不便を忍んでいくことを人生修行と考えたり、生きがいにしたりする。これは実利より美の優先である。日本人の場合、原発が最も優れて合理的なエネルギー源であろうとも、

必ずしもそれを採用するという結論にはならない。それどころか、原発を選択しなかった場合に受ける不利益もあえて受け入れて我慢するほうがましだという発想になる。こう考えている人には原発関係者が説く原発のメリットなど説いても無駄である。かつて米英を相手に開戦に踏み切った際も、歴然とした科学技術のレベル差を軍部が精神論で押し切ってしまった。このように日本人は科学技術を絶対的に評価することが苦手であり、すぐに他の要素でその結果を曲げてしまう傾向がある。このあたりは日本の科学技術教育にも問題がありそうだ。

科学技術が巨大化するにともなって、人々はその威力に驚きそれとともに警戒心を強めていく。この傾向は日本人に特に強い。高速鉄道や飛行機などもそのパワーは既に人の手の届かないレベルではあるが、原子力はそれを遥かに超えたパワーがあり、制御出来なくなればどうにもならなくなるものと考えている。そう考えるのは、原爆の破壊力が従来の爆弾とは隔絶した大きさがあることをヒロシマ、ナガサキで体験したからだ。多くの日本人は人間には核の力が大きすぎ、コントロールは無理だと考えている。元原子力安全委員長であり、現在の原子力安全推進協会の松浦代表は「鋭利な刃物のように恐ろしいがしっかり管理すれば便利に使用できるのが原子力。一般の人たちが原子力に漠然とした恐れを持たないよう専門家がわかりやすく教育する努力も継続しなければならない」と述べているが、それは日本人がそれだけ原子力を警戒していることの裏返しだ。

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